助産師の「開業権」とは何か 8   <家庭分娩>

開業助産婦というと「昔からの」と枕詞がつくように長い歴史があるような印象がありますが、助産所自体が1950年代にできたものであったり、前回までの記事であげた開業助産の業務の中の「乳房マッサージ」のように案外最近になって始めたことがけっこうあります。


私が助産婦学生だった四半世紀前には、開業助産所というと先輩助産婦さんたちが助産所を開設し「昔ながら」の妊婦健診と分娩介助を主な業務にしていました。


私自身は看護婦として数年働いてから助産婦学校に入ったのですが、開発途上国の医療援助で出会った現地の助産婦や一緒に働いていたカナダとオーストラリアのシスターの助産婦の活動が、そうした日本の開業助産婦さんとも重なる部分がたくさんあり、個人的な感情としてはそのように地道にお産にだけ関わってこられた先輩助産婦さんの雰囲気のようなものは好きで、尊敬もしている部分が多いです。


ところが、ちょうど私が学生だった時期が助産師全体あるいは開業助産所に大きな変化が始まり、助産師の雰囲気が変化しだした頃だったのだろうと今思い出しながら考えています。


学生時代に1週間の助産所実習もあったのですが、4ヶ所ほどの実習助産所は昔ながらの分娩だけのところから、その頃はやりだしたマタニティビクスなどを取り入れているところまでかなり雰囲気の差があったと思い出しています。
そして「自宅分娩」もまたその頃から取り入れられ始めていました。


<家庭分娩という言葉ができた時代>


家庭分娩というのは、産婦さんの自宅で出産を介助することです。
「自宅分娩」なら昔からやっていることで新しいことではないと、普通思いますよね。
私も最近までそう思っていました。


でも、助産婦学校時代の教科書にはこう書いてあるのを最近発見しました。
「母子保健ノート 2  助産学」(日本看護協会出版会 1987)

1.家庭分娩の意味


わが国で「家庭分娩」という言葉が一般に用いられるようになったのは比較的新しく、1950年頃からは助産婦教育でも盛んに使われている。
家庭分娩とは、産婦の自宅や家族、親戚などの居住している場所において行われる分娩をいい、病院、診療所、助産所で行われる「施設分娩」や乗り物などで急に分娩が開始してしまった場合のものと区分されている。
「母子保健衛生統計」ではこの3つを分けて、家庭分娩に相当するものを「自宅分娩」と称している。
昭和22年(1947年)頃までのわが国の分娩は、その98%が家庭分娩であったため、とくに分娩の場所を区分する必要がなかったのであろう。 (p.550)

98%の人が自宅で産むしか選択がなかった時代には、あえて「自宅分娩」「家庭分娩」と言う必要がなかったということです。
また分娩を介助する助産婦にとっても産婦の自宅に赴いて介助するのは当たり前だったので、助産婦の教育の中で「家庭分娩」という言葉が使われるようになったのはここ半世紀のことでしかないということです。


では助産婦教育の中で「盛んに使われるようになった」のはなぜなのでしょうか。


<家庭分娩の推移>


上記の教科書で家庭分娩に代わって施設分娩が急速に増加した原因(理由)を挙げています。長くなりますが、全文引用します。

2.家庭分娩の推移
第二次世界大戦の終局を迎えて施設分娩が急速に増加し、これに伴って家庭分娩が著しく減少してきている。
家庭分娩に代わって施設分娩が急速に増加した原因として次のことがあげられる。

1)医学、医術の進歩により、分娩に対応する産科技術や予防的措置が改善され、分娩の取り扱いそのものに、医療機器、薬品の使用が導入されるとともに、異常の早期発見、緊急対策が直ちに行われる場所での分娩がより安全であると強調されるようになった。
2)第二次世界大戦による住居の破壊、焼失が、産婦の自宅での分娩場所を確保することができなくしたこと。その後これに代わって助産施設の整備が進められ、産婦を受け入れる施設が地域的にも充実してきたこと。
3)戸籍法の改正により、従来の大家族制度が崩壊するとともに、夫婦を対象とする核家族が単位となり、分娩、産褥時の母子看護や生活の援助をする家族が同居していなくなったこともあり、またこれに加えて家事手伝い人、派出婦、派出看護婦等の確保がしにくくなったこと。
4)道路が整備され、一般の交通機関や自家用車が普及するとともに、特殊な地域を除き、分娩時に、産婦の自宅から医療機関への連絡・移動が早急に行われるようになったこと。
5)一つの重要な要素として、分娩介助や看護に従事する人たちへの仕事に従事する時間、形態をより効率的に活用する方向となり、家庭分娩で個々に行うサービスよりも、施設に集約して行うサービスのほうが、受ける側にとっても与える側にとっても機能的に優れている面が多く、施設分娩の利用が増加することは、他の部門からみても当然といえるのではないだろうか。

「異常の早期発見、緊急対策が直ちに行われる場所での分娩がより安全であると強調されるようになった。」


この教科書で勉強していた当時は、「救命救急医療」という言葉が医療従事者の中でも使われるようになり、ようやく救命救急センターが全国に拡充されてきた時代でした。
交通外傷、その他の救命救急医療が格段に進歩した記憶があります。


産科・小児科の中にも「周産期」という表現が定着し、NICUを持つ施設が全国に増えていった時期でした。
それでもまだ規模の大きな病院以外では経膣エコーは普及していなくて、妊娠週数や分娩予定日は最終月経からの算出だったため、双胎(ふたご)も生まれてくるまでわからなかったり、子宮外妊娠の破裂や過期産での新生児仮死、前置胎盤による大出血などなど、今では考えられないほど、まだ診断技術にも不確実要素がたくさんありました。


言葉尻をとらえてもしかたがないのですが、医療機関での分娩が増えたのは誰かが「より安全と強調」して宣伝したからでもなく、人々の実感としてより安全を求めた結果だと思うのです。


<家庭分娩の対象>


上記の教科書では、以下のように結論づけています。

今後の家庭分娩は、施設分娩よりむしろ、その利点を認識する人たちの希望により、十分な計画のもとに、安全性を確保しつつ実施されるようになるのではないだろうか。

まさにこの教科書が予言したように、現在の自宅分娩は周産期センターや総合病院の多い首都圏や都市部でごくごく一部の自宅分娩をしたい助産師と産婦さんに限定されているといえるでしょう。


「家庭分娩の利点」については明確な記述がないのですが、おそらく以下のことを意味していると思われます。

近年とかく医療対策のみを重視する施設分娩のあり方に対して、もっと家庭の温かさを加えるべきであるという批判がなされるようになり、とくに、新しく家族の一員として迎え入れられる児を家族ぐるみで看護、哺育することが必要であるという意見がだされるようになってきた。
本来、子どもの生活の場は家庭であり、その中で、両親や兄・姉、その他の家族がその立場と役割を認識しつつ生まれた子どもへの協力をはかることは、とかく育児は母親のみのものと考えられ、心身ともに加重になりがちな若い母親の負担を軽減するとともに、家庭の融和の面からも、家庭分娩が評価されつつあるが、これによって家庭分娩が増加するまでにはまだ問題があり、家庭分娩のもつ雰囲気を施設分娩の中に取り入れて母子看護が行われる必要があるのではないだろうか。


なんだか演説を聴いているような感じで、そうだそうだとうなずきそうになる部分もあるのですが、長期的な育児の家庭環境と数日間の出産環境をごちゃまぜにして語っているので利点も問題点も明確になっていないのだと思います。


「とかく医療対策のみを重視する施設分娩のあり方に対して、もっと家庭の温かさを加えるべきであるという批判」


もし「出産の安全性のためには医療は必要だが、医療対策のみを重視するのではなく家庭の温かさを加えるべき」という批判があったとしても、開業助産師がその声に応えられる機会が過去にありました。


助産師だけでお産を扱うということ 1 <日本で助産婦が出産の責任を負っていた頃> - ふぃっしゅ in the waterで、分娩を取り扱う助産所も「1950年(昭和25年)に初めて登場」したことを書きました。
それまでは自宅に赴いて介助するしかなかった助産婦にとって、産婦さんに来てもらうことで同時進行の分娩にも対応できるため安全性への責任という点では格段に改善できたと思います。また現代のように自動車があるわけでもないので、救急時の備品を自宅に持っていくのは大変ですが助産所に置けばより安全な対応ができたことでしょう。


また1959年(昭和34年)から厚生省と自治体が農山漁村などに助産婦による助産を進めていくための母子健康センターを各地に設置していきました。


助産所と母子健康センターであれば、医療介入が少なく、また家庭の温かさを併せ持つ施設として十分に社会の批判に応えて発展する可能性があったはずです。


でも結局そのどちらも、わずか十数年で減少していきました。
それは何故なのでしょうか。


この教科書は助産所や母子健康センターでの分娩取り扱い中止が相次いだ昭和40年代からすでに10年を経てから書かれたものです。


そしてその頃から「家庭分娩」「自宅分娩」が話題になり、助産婦学生にも家庭分娩の授業が行われていました。
助産婦だけでの自宅での分娩、あるいは助産所での分娩に対するきちんとした総括もないままに、「この先開業助産婦の分娩は病院に取って代わられる」と乳房マッサージに活路を見出そうとしたように、「自宅分娩」にも活路を見出そうとしていたのではないでしょうか。



今この教科書を読み直してみると、この時代もまた、なんとか助産婦の業務を死守しようとする助産婦側の歴史のようなものが見える気がします。




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