医療介入とは  90  <CTGと看護技術>

前回の記事の最後に、「お産の陣痛の個人差をより正確に観察できるようにもっと技術を磨いていきたい」と書きました。


その「技術」という表現は、医療従事者であれば「看護技術」の略であることはわかると思います。


今回はその看護技術について考えてみようと思います。


さて、5月28日の記事にyamyamutohさんがコメントをくださいました。ありがとうございます。
その一部を紹介させてください。
(尚、コメント中のpakoさんのHNが違っていたので訂正してあります)

助産師さん達に「CTGが妊婦を縛り付ける」という発想があることを知って驚きました。
pakoさんのコメントも読んで、CTGを嫌がる助産師さんだけ時代錯誤だと思いました。
医療も家電も携帯も何もかも、より便利で正確なものを求めて生活している社会なのに。出産育児の分野だって同じではないでしょうか。ましてや命がかかっている分野です。原発のように計り知れないリスクがあるのならまだしも、使える技術や道具があるのに使いたがらないっていうのは、なぜなんですかね?独特な世界なんですかね?


このコメントを読んで心がざわつかない助産師はいないかもしれません。
多くの助産師は、「CTGを装着するのは妊産婦さんにとっては苦痛なことのはずだから、できるだけ装着する時間が短いほうがよい」と思ってきたことだからです。


では、CTGを積極的に装着しようという方向にすぐに変えようとするのであれば、それはそれで反動でしかないようにも思います。
あの1980年代の自然なお産の中でCTGが苦痛だという産婦さんたちの声にすぐに反応した頃と同じように。


助産師に必要なのはこうした対象の「気持ち」の部分にすぐに何かを変えようとすることではなく、「CTGをずっとつけるのは苦痛だった」「CTGをつけることで安心感がある」という両方の産婦さんの声をそのまま受け止めることが第一歩であると思います。


そしてその「気持ち」の部分に、どのように対応するか。
その鍵となり答えとなるのが、看護技術という言葉だと私は考えています。


<看護技術とは何か>


看護技術を考える前に、「技術」とは何かコトバンクから引用します。

各分野で目的を達成するための技能、手順(技法)、道具および知識の体系のことをいう。技能力が主に個人に帰属するのに対し、技術は人に限らず組織や社会に帰属させることができる概念として扱われる。
生産分野で技術というときには、原材料の選択、工法、工員の技能、設備能力そしてそれらに関連する知識全般を含めたものをさす。また生産分野や土木建築などの技術は、エンジニアリングと呼ばれる。さらにエンジニアリングに科学の知識を付加して高度化した技術はテクノロジーと呼ばれる。

看護技術は、看護の目的を達成するための技術です。


もう少し具体的に書かれている、聖路加看護大学が主催している看護ネットというサイトの「看護技術とは」から少し長くなりますが引用します。

技術とは、方法であり、道具であり、活動内容であり、実施であり、実践です。


看護技術は看護の専門知識に基づいて、受けての安全・安楽・自立を目指した目的意識的な直接行為であり、実践者の人間観(看護観)と技術のレベルが反映されたものを言われています。
看護ケアの受け手である患者さんが、安全で、気持ちよく自分の力を発揮して生活できるように手助けするための手段が看護技術であり、人と人との関係性のなかで実践される看護ケアには、実践する人の気持ち(看護観)が反映されています。

看護(nursing)を広い概念でとらえると、子どもをはぐくみ、弱い者傷つき病めるものの世話をするという行為ともいえます。
これらは特別に教育・訓練を受けていなくても、経験によってある程度行うことができます。それを専門の立場から職業として行う場合には、科学的で正確な知識と技術に裏づけられ、より正確な知識と技術に裏付けられ、より安全でより安楽な方法で実施されます。これが看護技術です。

最初に紹介したコトバンクの「技術」とあわせて考えると、看護ネットの記述はむしろ看護師個人の「技能」に重点をおいた見方のような気がします。


あるいは私達看護職も、看護技術というとその「ひとりひとりが持つ技術」のようにとらえやすいかもしれません。


むしろコトバンクの以下の部分が、看護技術においても大事ではないかと思います。

技能力は主に個人に帰属するのに対し、技術は人に限らず組織や社会に帰属させることができる概念として扱われる。

つまり、たとえば私の「より正確にCTGを装着することができ、より産婦さんが快適にCTGを着けながらお産する」ための技術というのは、私個人の技能をこえた助産師・看護師の仕事へと還元させていけるもの、ということになります。


漠然としてわかりにくい話で申し訳ありませんが、もう少し次回に続きます。