岩室民俗史料館には運営協力友の会があるようで、立派なパンフレットがありました。
風景の中に先人の歩みを遺して
この地には、先人が残した自然や産業・民俗があり、史料館には長い歳月をかけて収集した往時のなごりが展示され、学べる資料館となっています。
帰宅してあらためてこの一文と額にかけられていた「岩室民俗史料館の歩み」を読み、それを記録しておきたくなりました。
「岩室民俗史料館の歩み」の続きです。
斉藤嘉吉氏は、昭和十三年に和納に生まれ、巻高等学校を卒業、三十年ごろから家業を継ぎ、村内の各地へ行商を続けていました。
巻史学会や県の民俗学会に入会し、民具の研究も続けてきました。行商の途中家が建て替えられ、不要になった生活用具などが廃棄されるのを目にしたことで、それらの保管が必要だと資料館の必要性を強調していました。
昭和四十二年頃の「広報いわむろ」の各号に使われなくなっている生活用具・作業道具を公民館に寄贈をお願いする記事が散見されています。
岩室村の合併の動きと史料館の変遷を記しておきます。
・昭和三十年四月 岩室村と間瀬村が合併 役場庁舎は西長島。
・ 三十五年四月 岩室村と和納村が合併 役場庁舎は現在のJA和納支店。
・ 四十二年七月 役場庁舎を旧和納中学校に移転 現在は公園。
・ 五十八年八月 役場庁舎を現在の西浦区役所岩室出張所に新築。
・ 六十二年四月 和納保育園が水道の調整池跡に移転される 既存の保育園が空き家となり 旧和納中学校の空教室などに集められていた民具が旧保育園へ運ばれる。
・ 六十三年十月 岩室歴史民俗資料館が開館された(和納二丁目十一番三十三号)。
・平成元年四月 資料館は開館から半年余りで収納庫となる。
・平成十七年三月 岩室村は、新潟市と合併する。
・ 二十年八月 有志が資料館の再会を目指し、展示物の整理を始める。
・ 二十一年四月 名称を岩室民俗史料館に変更。有志により、史料館運営協力友の会が発足する。友の会により、春秋の公開展、草履、機織、綿繰り、綿打ちなどの体験教室の開催、鍛冶屋、縄綯い、筵編み、サンバイシ作りなどの実演が行われ、小学校三年生の見学も行われている。活動では岩室地区公民館から多大な支援を頂く。西浦区文化施設を運営する市民の会も結成され、史料館を運営する活動費の援助を受けることができる。
・ 二十六年四月 和納保育園と和納第二保育園が統合され、岩室駅の東に移転新築される。
・ 二十七年四月 前和納保育園の内部の改築工事が完了し、展示物の移転が始まる。
・ 二十七年七月 和納二丁目九番三十五号に岩室民俗史料館が開館。
斉藤嘉吉氏が民俗資料館の建設を提唱して、もう半世紀が過ぎようとしています。三十年ほど前にも当時の高齢者学級の有志がボランティアとして月に一度集まり、展示物の整理、名札の取り付けを行い、一年間ほどで、開館に漕ぎ着け他のですが、職員の配置はなされず、トイレや水道、電気もない資料館では見学者もなく、ボランティアの高齢者学級のリーダーの高齢化により、資料館への集まりも自然消滅してしまい、半年足らずで収納庫となってしまったのです。
岩室村は、平成十七年三月で新潟市と合併しています。合併まで斉藤嘉吉氏は村の文化財保護審議会の委員長を務め、機会あるたびに民俗資料館を整備して再開を提唱していましたが、二〜三人の人数ではどうにもなりませんでした。
ようやく、平成二十年の八月に有志の呼びかけで資料館を整備し、見学者を呼びこもうとする機運が生まれ、月に二回、資料館に集まり整備が続けられました。それまで付けられていた名札には荷札が使用されており、ボロボロになっていました。
新潟市の歴史博物館に問い合わせ、荷札の使用は止め、厚紙を使い、穴をあけてパッチで広がらないようにして、タコ糸で留めるのが良いとのアドバイスを受けました。
一生懸命に取り組んでも正しい知識がないと無駄な作業になることも学び、新潟県立歴史博物館、新潟市歴史博物館の学芸員との交流をずっと続け、現在に至っています。
新潟市から指定管理団体として認可されたことにより、専任職員の配置が可能となり、常時開館することにより、これまで以上に体験教室、実演も多く開催することが可能となりました。
トイレも整備され、地域の茶の間としての活用も可能となりました。
ちゃぶ台を囲み、お茶を飲みながら、昭和三十年代までに使われていた生活用具、農機具などを見て若い頃の苦しかった農作業や子育てに一生懸命に取り組んできた思い出を語り合うことも可能となりました。
ぜひ、史料館を活用してください。
この史料館の完成を一番待っていた斉藤嘉吉氏は、昨年十二月に急死されました。残念で仕方がありません。心からお悔やみ申し上げます。
斉藤さんの志は、私たちが引き継ぎます。浄土から岩室民俗史料館を見守っていてください。
平成二十七年七月一日 新潟市岩室民俗史料館運営協力友の会
地の塩のような市井の人によって社会は守られているという思いがまた強くなりました。
歴史を正確に記録し残すことの大事さは、失われて初めて、あるいは正しくないものに書き換えられることがあると認識されるものですからね。
ふだんはそれこそ空気のような歴史と生活です。
そしてあちこちを散歩していると、こうした「一粒の麦」のような方々がたくさんいらっしゃることを知る機会になりますね。
なんと豊かな国だろうと思います。
*おまけ*
ほんの三十年ほど前のまだ紙の地図が主だった時代だと、こうした地域の史料館を知ることは難しいものでした。
今はマップを拡大していくと、たくさんの史料館の存在を知ることができます。
これはデジタルの恩恵だとつくづく思いますね。
「記録のあれこれ」まとめはこちら。
生活とデジタルについてのまとめはこちら。