行間を読む 54  <1975年当時の女性はどのように生きていたのか>

20代の頃に社会の問題に目覚めてからというもの、理想と現実の間を右往左往してきたのですが、その中で一番もがいたことが自分が生まれていない30年前、40年前のことも当然ですが現実感がなく、とても昔だと感じていたことでした。


どのようにその時代を想像できるか。
本当に難しいことですね。


ですから、やはりわかりやすい説明、あるいは感情的に共感できそうなイメージが取り込まれていきやすいものです。
それで私も開発問題や人権問題、あるいは環境問題といった方向にのめり込みつつ、そういう自分にもどこか危うさを感じていました。


今、母乳推進運動(という実態があるのかもわかりませんが)の中で繰り返し出てくる、1970年代は人工乳の登場で母乳哺育が壊滅的になったという書き方が社会に受け入れられていくのは、わかりやすいからだろうと思いますし、やはりちょっと危ないのではないかと感じるのです。


前回の記事で紹介した1975年の3つのスローガンが出された時代というのは、当然、現在とは経済状況もなにもかも異なります。
時代は過去から現在へと1本線のように繋がっているようで、今の時代の感覚からは信じられないこともたくさんあることでしょう。


1975年、どんな時代だったのだろう。
私自身が中学生から高校生になる頃だったのですが、まだまだ自分が生きている瞬間を歴史としてとらえるだけの理解力はない時期です。
ちょっと振り返ってみたくなりました。


すごいですね。Wikipediaになんと「1975年の日本の女性史」というまとめがありました。


もちろん、これも当時の事実の一面でしかないし、その行間にもまた多くの事実がさまざまな意味を持って存在しているのですが。


「そんな時代だったのか」と私が驚いたことや、気になったことを書き出してみます。


<「1975年の日本の女性史」より>


1月14日(中略) 解雇問題に加えて工場設置の企業内高校廃止が相次ぎ、女子労働者の高卒資格取得問題化

高校・大学進学率の推移をみると、1975年当時、女子の1割がまだ中卒だったのですね。
女子はせいぜい短大までと言われた私たち世代です。


2月1日厚生省、母乳育児の効果に関する研究版発足、母乳復権運動が目的

「人工栄養ー母乳の喪失ー乳児死亡」の図式が大きなうねりとなって各国に広がり始めた時代とも言えそうです。


2月5日(中略) 婦人の国家公務員は全体の14.4%、管理職は1%、本省の課長以上は11人

2月ー東北農政局発表、東北地方の普通畑は女性への依存度が高く、女性が耕作の主な担い手に

その当時の岩手県の農村地域やへき地地域の母子保健についてはこちらの記事で紹介しました。

3月1日マックス高崎工場で希望退職に応じなかった2婦人、体罰を加えられ問題化

3月27日育児休暇法案、野党で共同提案

4月1日中野区、公立0歳児専門保育所「中野区立野方ベビー保育園」を設立。公立保育所で産休明けから0歳児専門は初めて

4月1日雇用保険法施行、妊娠・出産・育児で就業できない場合の失業給付の受給期間を4年まで延長

4月9日乳児をもつ女教師自殺、産休が子どもの学力にさわるとの父母達の非難を苦にして

5月31日厚生省、母乳中のPCB調査、25%が汚染母乳

この年は「国際婦人年」ということで、年の後半は議論が活発になったり新たな政策が取り入れられて行った様子がわかります。


「家庭科の男女共修を要望」とか「ハウス食品提供のテレビCM「わたし作る人・ボク食べる人」の放送中止」は記憶に残っています。


そう、でもまだ「婦人」と呼ばれていた時代ですね。
当時中学生か高校生だった私でも、「婦人」という呼び方が古くさく感じ始められて、「女たち」とか「リブ」も耳にし始めました。


「暴力亭主から逃れて自立をめざす女たちの家を作ろう」という動きもあったのですね。
まだDVという言葉もなかった頃でした。


高校進学を断念せざるを得なかったり、反対に4年制大学まで卒業しても就職先がなかったり、就職できても働き続けることが難しい。
農協の女子の定年が48歳だったのは、この年表で初めて知りました。
その反面、兼業農家が増えて農業の担い手が女性になっていったのもこの頃の問題としてあげられています。


働きたくても就職先がない、就職できても子どもができたら止めざるを得ない。
仕事、家事、育児そして介護も、それまでの時代とは違う負担へと変化し始めた時代かもしれません。


それは今と似てはいますが、同じ「女性」とか「母親」といっても、こうして年表で振り返ってみると時代によって抱える問題や状況は全く違いますね。


「乳業会社の宣伝で人工乳を飲ませる母親が急増した(母乳を飲ませる人が減った)」
そういう見方は当時の女性の状況はどうだったかという視点がなく、あまりにも結論を急ぎすぎているように感じるのです。






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