武蔵野台地の上にある私の自宅付近は真っ青な冬空だったのですが、多摩川が近づくにつれてなんだか黄色く霞んでいます。まだ黄砂の注意報も出ていないのになんだろうと思いながら駅を出ました。
駅にある周辺地図をまず眺めて写真に収めました。ほんと、地図は楽しいものです。
多摩丘陵の山際にもう少し上流の上河原堰からの二ヶ領本川(ほんせん)が描かれて、その途中に「五ヶ村堀緑地」と書かれています。二ヶ領用水でも初めて目にする名前のようで、思わずそちらに行きたくなりましたが、今日の目的は違います。
堤防の方へと向かって歩き始めました。
*さまざまな水辺の施設がある*
目の前に堤防と小田急線の橋が見える場所に、地図には名前の載っていない建物がありました。そばに水路があるので水道施設でしょうか。
堤防の河川敷側にも何かがあります。水道の取水口かと思ったのですが、「河川占用許可標識」には「登戸排水樋管」とありました。
鉄橋の上流側には数年前に完成したあの五反田放水路がありますから、排水が大事な場所でしょうか。
排水樋管のすぐ近くから、いつの間にか公園ができていました。
小田急線の車窓からは川べりの葦が生い茂っている場所ぐらいに思って見ていたのですが、「かわさき水辺の学校」という案内板がありました。
かわさき水辺の学校は、多摩川のもつ豊な自然を活用し、河川に関する様々な活動を通じて水に親しむ楽しさを理解し、子ども達の健全な育成を目指す場所です。
多摩川の自然環境の移り変わりを見守り、かわさきの自然を次世代に継承していく空間です。
葦の茂みの中に「せせらぎ池」があり、生物多様性保全活動が行われていると書かれていました。
対岸の河川敷には運動場が整備されて、子ども達が元気に遊んでいる姿も見えます。
70年代ごろまでの生活用水で泡立っていた多摩川が信じられないほどきれいな水辺になりました。
その先に宿河原堰があり、手前に二ヶ領用水への水路があります。
対岸は多摩川決壊の碑がある場所です。
わずか数百メートルほどの堤防沿いの道に、これだけの水辺の施設が整備されていることになんだか感無量でした。
以前は何も気にせずに「多摩川だ!」と鉄橋を渡っていたのですけれど。
*二ヶ領宿河原堰*
せせらぎ館に入る前に、宿河原堰を近くから見ることにしました。
コンクリート製ですが、そばで見ると気品が感じられるような造りです。
二ヶ領宿河原堰のあゆみ
二ヶ領用水開削に着手したのは、江戸時代以前の1597年のことで、徳川家康が地域の農業生産を高めるために小泉次太夫に命じ1611年に完成しました。
この二ヶ領用水に多摩川の水を取り入れ易くするために。宿河原に堰が設けられましたが、当時は竹製の蛇籠で作られていました。
1949年(昭和24年)5月、安定した取水量を確保するためにコンクリート製の堰に改良されました。
この時に作られたのが旧・宿河原堰で、ほとんどが固定部(洪水時も堰の高さが変わらない)でした。
1974年(昭和49年)9月、台風16号による出水により狛江市側の堤防が決壊し、民家19軒が流されるという大きな災害が発生しました。
1994年(平成6年)から川崎市と建設省(当時)の協働により治水安全の向上と水辺環境等にも配慮した改築工事に着手し、1999年(平成11年)3月に現在の宿河原堰が完成しました。
その時に被害を少なくするために堰堤を爆破したことも、半世紀ほどまったく記憶にないままでした。
今の堰堤にはそんな歴史も秘めたものであり、そばに「2010年度 土木学会デザイン賞 最優秀賞」の小さな碑がありました。
いつまでも眺めていたくなるほど美しい堰堤ですが、冷たい風が強く吹き飛ばされそうになってきました。
せせらぎ館へ向かうことにしましょう。
そばに工事関連の案内がありました。
堰に建つゲートの様々な部品を交換しているようです。この日は休日でしたが、平日には川の上でクレーンを操作して行なっているようです。
大きな川のそばは私なんて吹き飛びそうな川風が吹くことを散歩をして初めて知るこの頃ですが、そこで維持管理をされている方々がいらっしゃるからこそですね。
ほんとうに、水辺の施設とその管理について知らないことばかりで生きてきてしまいました。
そうそう、宿河原堰の目的に「洪水を安全に流す」と書かれていました。
治水安全の向上を図るため、旧堰より堰の高さを約2m切り下げ、洪水時の水位を大幅に下げることとしました。
これも二度と堰を爆破しなければ住民を守れないという状況を繰り返さない、そんなリスクマネージメントですね。
すごい責任ですし、こうした方々の仕事に守られている社会だと思うこの頃です。
「水のあれこれ」まとめはこちら。
「樋」についてのまとめはこちら。
失敗とかリスクについてのまとめはこちら。