散歩をする 110 かつて牛がいた街

新宿御苑玉川上水跡を歩いた後、かねてから歩いてみたかったところに足を伸ばしました。

それが牛込です。

 

明治から昭和にかけて渋谷区や新宿に牧場や搾乳場があったり、まだ冷蔵設備が発達していなかった1940年代から50年代ごろに「育児用乳製品のお店」として牛乳を薄めて売られていたらしいことから、都内近郊にあった牧場が気になっています。

おそらく、「牛」とつくからには牧場が関係しているのではないかと、その痕跡を尋ねてみたいと思っていました。

ただ、牛が窪のように牛を使った処刑場の場合もあるのですが。

 

Wikipediaを読むと、やはり牛に関係があるようです。

「牛畜と牛込」には、「地名の通り、牛込の歴史は少なからず牛に縁がある」とあり、以下のように書かれています。

701年(大宝元年)、大宝律令により武蔵国に「神崎牛牧(ぎゅうまき)」という牧場が設けられ、「乳牛院」という飼育舎がこの地に建てられたという。古代の馬牧が今日東京都内に「駒込」、「馬込」の地名が残されているところから、「牛込」がこの牛牧に比定された。

1872年(明治5年)頃から東京各地に、 ホットミルクを一杯飲めば新聞が閲覧できるという「新聞縦覧所」ができはじめると、にわかに牛乳の需要が増え、その名に違わず牛込区内でも神楽坂、若松町、市谷等に置いて牛蓄が広く営まれ、渋谷・代々木周辺の畜産家と良き競争関係にあった。

「歴史」を読むと、この間に「1555年ごろ、後北条氏に属する大胡氏がこの地に牛込城を築き、牛込氏を名乗る」とあります。

 

「牛込」。地下鉄では通過しているのですが、地上を歩いたことがない街でした。

 

 *大木戸門から牛込柳町まで歩く*

玉川上水内藤新宿分水散歩路が終わる大木戸門から北の方向へと歩くと、外苑西通りにぶつかりますが、その交差点にあるお寺のあたりから急な下り坂になって靖国通りへぶつかります。

 

靖国通りの北側は「対岸」と呼んだ方がふさわしいくらいの高さにお寺や学校が続いています。

靖国通りを市ヶ谷方面へ歩くと数分で曙橋ですが、靖国通りと交差する外苑東通りは陸橋で高い位置を通っています。昨年、新宿郷土資料館の帰りにここを初めて見て、その不思議な地形に驚きました。

「対岸」と思える高さがずっと続いて、曙橋の少し先に現在は防衛省があります。まるで崖の上に要塞があるような感じでした。

 

あとで「凹凸地図でわかった! 『水』が教えてくれる東京の微地形散歩」(内田宗治氏著、2013年、実業之日本社)を読みなおして、ここに川が流れていたことを知りました。

紅葉川は、もう一つの源流部である東京医科大学や禿(かむろ)坂 方面からの流れと地下鉄曙橋駅地点で合流し、市ヶ谷の防衛省の崖下に当たる靖国通りなどを流れ、市ヶ谷駅対岸地点で外濠へと注いでいた。

靖国通りの一部は昔、川が流れていたようです。あの「対岸」に見える部分は、河岸段丘だったということでしょうか。

 

さて、窪地になった曙橋付近から坂を登って、牛込柳町駅に向かって外苑東通りを 歩きました。

特に西側は急な上りの坂道が何本もあり、その上に東京女子医大などが建つ台地になっています。東側は緩やかな上り坂で、やはりそちらにも丘のように見えます。

この外苑東通りがちょうどその丘と丘の間の低地部分のような印象です。

 

どこかに、街の由来などが書かれた説明書きがないか気をつけながら歩いたのですが、残念ながらかつて牧場だったことがわかるようなものは見つけられませんでした。

 

150年ぐらい前は、このあたりは見渡す限りの牧草地で、牛がゆったりと草を食んでいた風景を想像しながら、地下鉄大江戸線で帰路につきました。

 

 

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