発達する 27 ヒトにとっての15年

なぜか競泳を観戦したいと思い立って、初めてチケットを購入したのが2004年の短水路選手権でした。

 

競泳大会には短水路(25m)と長水路(50m)があることも知らず、右も左もわからないまま会場に行きました。

当時はまだ真冬の2月に開催していたので、冬場に競泳を観戦できることが楽しみで辰巳に通い始めたのでした。

 

記憶が曖昧になっているのですが、FINAワールドカップが2011年頃から秋に開催されるようになり、それに合わせてそれまでの短水路日本選手権もワールドカップと同じ日程になる年もありました。

今年はそのワールドカップ8月に長水路で開催されたため、今回は日本選手権として単独の大会に戻ったのかもしれません。

 

久しぶりの、あの私が初めて観戦した頃の短水路大会の雰囲気に、15年間のいろいろなことが思い出される大会になりました。

 

1日目に鳥肌が立つような泳ぎを見せた瀬戸大也選手も数年前は失意のどん底だったのではないかと思われましたが、私が競泳大会を観戦し始めた15年前は瀬戸大也選手は何をしていたのだろうと逆算してみると、中学生ぐらいでしょうか。

 2001年の世界水泳では会場で観戦して、北島選手を応援していた8歳の少年だったのですから、「世界と戦う」どころか「日本選手権に出場する」ことさえ夢のまた夢だったような年代だったのでしょうね。

 

 *競泳選手にとっての15年*

 

人としての成長期である少年から青年期なら、15年間に驚異的な成長をすることはどの分野でも発達段階としては当然かもしれませんが、今回の大会では、別の意味でもすごい15年だったと思い返すことがありました。

 

1日目の男子バタフライ50mに、今回も高安亮選手のお名前がありました。

2000年代初め頃には国際大会にも多く出場されて、活躍されていました。その後も国内大会には出場されていらっしゃるので息の長い選手のお一人ですね。

 

予選では16位でB決勝進出、B決勝では23秒57で2位の結果でした。

優勝した水沼選手は22秒74でしたから、タイムでいえば選手にとっては「水をあけられた」ぐらいの差になるのかもしれませんが、毎年これだけのタイムを再現できることがすごいことだと思います。

 

こちらの記事に書いたように十数年前に初めて短水路大会を観た時には、短水路大会というのは若さとパワーの競技のような印象がありました。

ところが、国内外ともに泳ぎを追求し続ける選手が増えたので、ただ記録や順位ではない達人と言える泳ぎを観ることができるおもしろさが増えました。

 

一人一人違う技術の自由度を追求し、自分のベストタイムだけでなく世界記録の再現に挑戦する。

 

 15年かけて観戦しながら泳ぐことについて考えてきた私も、ちょっとは成長できたでしょうか。

 

 

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