8月中旬、武蔵野線を制覇したあと、まだ乗ったことがない路線に乗ってみようとまたつぎつぎと計画ができました。
西武池袋線は1960年代前半、幼児の頃に沿線に住んでいたので乗る機会があり、今でも懐かしく感じます。あちこちを散歩するようになって、西武新宿線や所沢線など乗る機会が増えました。ところが西へ行けば行くほど路線名や乗り換えが複雑で、いまだに路線図を思い浮かべられない鉄道です。
せっかくなので、まだ乗ったことがない西武線に乗ってみようと地図を眺めました。
玉川上水から関心が出た東京の水道の歴史ですが、欠かせない場所が村山貯水池です。いつか訪ねようと思いつつ、どのように歩いたらよいか計画が決まらないまますぎていました。
そうだ、ただただ西武線に乗って、そのあたりを下見しようと決まりました。
人の体温を超える猛暑日ですからね。
*西武多摩湖線と西武山口線*
7月に歩いた玉川上水の分水が作りだした武蔵野の農地の周辺をすぎると小平駅に着きます。駅の前には、昔と変わらない風景がありました。
駅のすぐそばに小平霊園があります。今は別の墓地に移したのですが、そこに父方のお墓があったので子どもの頃からお墓参りで何度も行った場所です。墓石とお花を扱う石材所が立ち並んでいる風景は、半世紀前と全く変わっていませんでした。すっと昔からある霊園だと思っていたのですが、戦後に造られたばかりの新しい墓地だったのですね。
霊園はただただ広い平地だと思っていたのですが、Wikipediaを読むと「さいかち窪」という場所があり、あの黒目川の水源のようです。
小平駅で多摩湖線に乗り換えてしばらくすると野火止用水を越え、空掘川のそばに東村山浄水場が見えました。
この辺りから線路に沿った暗渠らしき上に、遊歩道・自転車道が整備されていました。昔は村山貯水場からの水路だったのだろうかと想像しているうちにあっという間に左手に、狭山湖自然公園になっている天堤部分が迫ってきました。その脇を多摩湖線が走っているようです。
地図では湖畔に沿っているのですが、森と道路の向こうにたまに水面が見えるだけであっという間に西武球場駅に到着しました。
せっかくなので湖畔まで歩いてみようと外へ出たのですが、暑さのために数分ほどで引き返し、そのまま所沢へ出て帰宅しました。
ほんとうに「下見」でしたが、Wikipediaの村山貯水池の以下の部分が実感できました。
明治以降、人口増加および水道改善目的で東京市は1898年(明治31年)12月1日に淀橋浄水場を竣工させ、1911年(明治44年)3月まで施設能力を増強させたが、それでも市民の増加及び一人当たりの使用量の増加に対応しきれなかった、そのため、東京市の人口増加に対応した水源確保のため、貯水池を新設することとなった。新設は中島鋭治の調査にて、西多摩郡大久野村(現:日の出町)か北多摩郡の6村(清水村、狭山村、喬木村、奈良橋村、蔵敷村、芋窪村)(現:東大和村)にまたがる狭山丘陵の二案が検討され、内部がすり鉢の窪地のため工費が安いという理由で、狭山丘陵に建設することが決定した。
「内部がすり鉢の窪地」、まさにそんな地形を感じさせる場所でした。
涼しくなったら、羽村取水堰からどのようにここまで導水しているのか、ぜひ歩いてみたいものです。
ところで、帰宅してから痛恨のミスに気づきました。
なんと西武遊園地駅の前の狭山自然公園に、氷川神社があったことに気づかなかったのでした。
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