記録のあれこれ 76 非日常から日常を模索する

先週から私が利用しているスーパーのチラシが復活しました。

活字中毒だった頃から、手当たり次第字を読めるものを眺めていたので、特売をチェックするわけではないのにこのチラシを持って帰っていました。

久しぶりのチラシ、隅から隅まで眺めました。

まだ、ポイント10倍デーなどは、密を避けるためにないそうですけれど。

 

もうはっきりした記憶がないのですが、たぶんあの何をどう判断したらよいかわからない状況に入って、店頭からものが一気になくなり始めた頃からチラシを見かけなくなったのかもしれません。

あの日から、パスタやカップ麺、冷凍食品の棚はいつ行ってもガラガラになっていました。最近、ようやくパスタの袋を見ました。

食べるものに困ることもなくこの非常事態を切り抜けられたことに、ほんと感謝するとともに、やはり物がない棚というのは非日常だと感じました。

 

入場前の手続きは多くなったけれど、以前と同じように泳ぐことができるようになりました。

 

6月第1週はまだ、通勤電車もホームも以前の半分ぐらいの混み方でしたが、第2週に入って感覚的には8割以上に戻ってきたでしょうか。そしてドア横のお地蔵さんも復活しました。6月12日に東京アラートが解除され、その週末の出勤はさっそく朝から酔っ払いと吐物を避けてホームを歩く日常が復活しました。

これはさすがに、「自粛の時の方がよかった」と思いましたね。

 

 

「日常」という言葉は、看護でも「日常生活動作」などよく使う言葉ですが、その意味を本当に理解するのは、一生のうちにそう多くない体験からなのかもしれませんね。

そう書いて1年もしないうちに、また「日常」を突き詰めて考える日がくるとは思いませんでした。

 

非日常から日常というよりは、非常時から平時という感じでしょうか。

「新しい」という気持ちでもない日常です。

まあ言葉で表現することが難しい現実の複雑な状況に、あえて広告のようなネーミングをする必要はないかもしれませんね。

 

ということで、少し以前の生活が戻った記録でした。

 

 

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