先日の「科学的根拠から考える 助産の本質」?にとかえこさんからコメントをいただきました。
ふぃっしゅさん、ご無沙汰しております。ふぃっしゅさんのお考えにはいろいろと助けられました。久しぶりの助産とはのご更新、興味深く拝読しました。本、まだ読んでいませんが、見てみます。ふぃっしゅさんが思想から解放されるまで20年間、どのように考えてこられたのか、お話ししたいです..。
ありがとうございます。
とかえこさんから初めてコメントをいただいたのはたしか数年前、助産学生でいらっしゃった時でした。
もう一度、当時からのいただいたコメントを読み返してからお答えしようと思いました。
最近、はてなブログの編集方式がまた変化したのか、過去のコメントをハンドルネームから検索する機能がなくなってしまい、ほかの方からのコメントもいちから全て再び読む機会になりました。
コメントをいただいた時には、その行間にあるもっと違う何かや大事な言葉が見えていなかったかもしれないと思えてきました。
すべてのコメントにもう一度返信するとしたらどんな風に答えるだろう、そんなことをいろいろと考えました。
さて、とかえこさんからいただいたコメントをすべてプリントアウトして、もう一度読みました。全然ペーパーレスじゃあないですね。
最初は、「何か答えを書かなければ」とそれらしい文章を考えていたのですが、あらためて読み直していて、帝王切開術後の合併症にいただいたコメントの以下の部分で「あっ」と思いました。
「事実をどう表現するか」これに関してはすごく課題が大きいと思います。問題のひとつは、「自分が体験したことを事実だと思うこと」が根底にあると思うからです。「私の場合はこうだったよ」という体験談は、一人一人にとっても大切なものですが、それが事実と思うことは見る目を歪めるばかりでなく、人を傷つけることにもなります。こと育児に関してはそういう「口コミ」が多く、それが代替療法を簡単に受け入れる素地になっているのではないかと思っています。事実を地道に表現して行くこと、取り組んでいきたいと思います。
とかえこさんが助産師の新卒1年目の時にいただいたコメントです。
最近ではさまざまな経緯を経て、医療資格をとられる方も多いので、当時とかえこさんが何歳で、どのような経験からこの表現をされたのかはわからないのですが、私が個人的体験談という言葉に行き着いたのが半世紀ほど生きた頃ですから、おそらくこの言葉がいま社会の中で「本質」として浸透して来たのではないかと思います。
このコメントへの返信で、こんなことを書いていました。
「事実」とは何かを考えただけで、またいろいろなことが思い浮かんでくるのですが、看護の中では「事実を記録する」場面がとても大事なのでそのうちに何か書いてみたいなとは思っていました。いつのことになるかわかりませんが。
ブログを始めてしばらくした頃からなんとなく「事実とは」「記録とは」という言葉が霧の中にあったものが、このコメントをいただいた翌年から、「事実とは何か」や「記録のあれこれ」というタイトルにつながったのかもしれません。
そして、ちっともペーパーレスじゃあないですが、こうして過去のコメントを読むことができるのもはてなブログさんが膨大な記事とコメントの記録を管理してくださっているからだと、それもすごいことだと思いました。
「思想から解放された」理由は、とかえこさんのコメントをはじめ、もしかしたらこうしてたくさんの「思考」に触れて刺激を受けることができる時代に入ったからかもしれませんね。
とかえこさんへのお返事としては、漠然すぎるかもしれませんが。
もうちょっと続きます。
上記以外で、とかえこさんからいただいたコメントのある記事はこちら。
「記録のあれこれ」まとめはこちら。