鵺(ぬえ)のような 6 誰が「不満」を生み出しているのか

一週間ほど前までは数分歩いただけでも汗が流れ息が切れるような真夏日が続いていたのですが、一転して秋のような肌寒い日々が続いています。

「早く涼しくならないかな」と思っていたのに、もうあのギラギラとした太陽が恋しくなっているのですから、気分なんて勝手なものですね。

 

私一人の気分の変化だけでも世の中が白く見えたり黒く見えたり、変化を正確に見ること難しいものですが、社会の気分となるとまたその全体像はほんとわからないものです。

 

 

*私の人生で2回目の「蜘蛛の糸」*

 

ただ、ここ数ヶ月で現内閣の「支持率が下がっている」ニュースがさかんに流されていましたが、「世論調査」って誰がどこでしているのだろうと思うほど、私の周囲の雰囲気とは異なるので驚いています。

 

私自身は医療従事者枠で4月と5月にワクチンをうつことができましたが、スタッフが皆2回目のワクチンを終了した時に勤務先では本当に安堵感がありました。

院内感染を抑えられますし、スタッフと家族間の感染も抑えることができます。

 

2月から大きな急性期病院の自施設での接種から始まって、私の勤務先のように小規模な診療所では区の医師会が開業医の先生に委託して行われました。

かつてないほど厳格なコールドチェーンが必要なワクチンですから、保存から実施そして記録まで複雑な管理をこれだけの期間で医療従事者に実施してくださったことだけでもすごいと思いました。

その後の高齢者、そして各年代、職域接種など着々とワクチン接種がすすみ、職域接種のおかげで妊婦健診に通院されている妊婦さんでも接種する人がぼちぼちと出てきたのが7月ごろでした。

 

世界的にも供給量が限られたワクチンを、誰からうつか。

あの東日本大震災の時に「あなたたちだけは助かって」という蜘蛛の糸の状況を、人生でもう一度経験することになるとは思いませんでした。

 

それでも大きな混乱もなく、ここまでワクチン接種がすすみました。

そして皆が静かに自分の番を待っているのも、細かい点での不備はあるにしても、イデオロギーを越えて、未曾有の感染症に対応している政府への信頼が社会にはあるのではないかと思っていました。

 

 

*「自粛疲れ」という雰囲気*

 

内閣支持率が落ち始めた頃からか、「自粛疲れ」という言葉をよく耳にするようになりました。

 

その少し前までは、「まだまだ自粛をしっかりしたい」「もう少し緊急事態宣言期間を延長しても良いのでは」という声もありました。

早く終息しないかと思うけれど、まだまだ時間はかかりそうと忍耐強く待っている人も結構いるのだろうと思いました。

 

「自粛をどう思うか」と聞かれれば、そりゃあ、不満の一つも言いたくなりますよね。

でもそれを持って「自粛疲れ」という物語にされたら、道を誤るのではないかと思います。

 

感染症対策に関連した首相の会見はできるだけ観るようにしていました。

どこまで現状が変化して、今後どのような対策がとられるのか、医学的な面と社会的な面からの問題解決のための議論を知ることができる機会です。

ところが最近は、感染症に関しての質問は最初だけで、「緊急事態宣言の効果はあったのか?」と言った責任を問う質問や、「解散は?」「総裁選は?」という、場違いとも言える質問の機会になっていました。

 

民がモーゼに向かって不満を述べたような現代の出エジプト記ですね。

こういう非常時には誰が民に不平を言わせているのか、見えやすいものだと思いました。

そして「世論調査」を必要とするのは、現在わかっていることとわからないことをそのまま伝えても理解できず、自己流の判断や権威に物申すことで社会を変えたい人たちと言えるかもしれませんね。

 

こういう流れを「政治」だと思わされていることに嫌気がさしている「民」がいることに、気づいていないのでしょうかね。

 

 

 

 

 

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