数字のあれこれ 82 未曾有の時の「数年」

昨年春頃からのやり残した宿題を思い出しました。

「数年」とはどれくらいの長さを指すのだろうと気になっていたことです。

 

というのも、しだいに「海外ではみんなマスクもしていない」「コロナは終わっているのでは」という雰囲気になった頃から、ニュースのコメント欄に「もう数年もこんな生活をしている」という表現が増えました。

そのときに、未曾有の感染症拡大は2020年1月からだからまだ数年ではなく3年なのにと思ったのですが、私にとって「数年」というのは5~6年の認識でした。

 

コトバンクを読んで、そうなのかと初めて知りました。

三〜四年、五〜六年ぐらいの年数をばくぜんという語。

(精選版 日本国語大辞典

 

デジタル大辞泉になるとさらに短くて、「2、3から5、6ぐらいの年数」とありました。

 

コメントを書かれた方々の年齢層はわからないのですが、もしかしたら年をとると時間が過ぎるのが早く感じるという年代差もあるのかもしれないですね。

 

私自身は、最初の頃に「感染症数理モデル」を知ったことで混乱が終息するまでには10年ぐらいかかるかもしれないと覚悟していたので、「まだ3年だし」と思えたからでしょうか。

 

「3年も我慢した」と感じるから、その対策に意味があるのかとか災害時のさまざまな思い込みといった書き込みが増えることもまあ仕方がないのかもしれませんね。

 

政治問題ではつじつまのあった生活上の声がたくさん書き込まれるのに、新型コロナのニュースになるとつじつまの合わない声がたくさん書き込まれていきます。

これもまた未曾有の混乱の中で日常生活を早く戻したいという気持ちがそうさせるのかもしれないですし、こういう時に「そう信じることで乗り切りたい」と思う気持ちを説得するのは難しいですからね。

 

 

*見通しがぶれると、つじつまが合わなくなる*

 

 

国のリスクマネージメントも混乱していましたね。

 

「マスク着用の判断は個人に任せる」といいつつ厚労省の「自分が率先しないと部下は外しにくいから」という場面がニュースで流れました。

その2週間後の文部科学省の入省式のニュースでは、大臣をはじめ全員がマスク着用でしかも一人一人の距離を開けて立っていました。

2022年12月には「子どもたちのマスクを外させて欲しい」という陳情に列席した大臣たちはマスクをすでに外していたのですけれどね。

社会は混乱しますよね。

 

未曾有の感染症拡大で政府も混乱するのは仕方がないのですが、厚生労働省が出した「令和5年3月13日からマスク着用は個人の判断が基本となります」の、「受診や医療機関・高齢者施設などを訪問するとき」「通勤ラッシュ時など混乱した電車・バスに乗車する時」にはマスクを着用しましょう、という至極真っ当な呼びかけが霞んでしまったのは残念でしたね。

そもそも日本では「強制」されたことはなかったのに。

 

あっという間に静かな旅の季節が終わり、至近距離で飛沫を浴びることが増え、もう「コロナ禍は終わった」どころか「コロナなんてなかった」、あるいは「マスクや予防接種も意味がなかった」「行動制限も無意味だった」という全否定の雰囲気が出始めたのも驚きです。

3年前は他の国で病院の廊下まで患者が溢れ、埋葬する墓地も足りないニュースに怯えていたはずなのに。

 

一昨年、すでに感染対策を緩め始めた国ではインフルエンザや小児のさまざまな感染症が激増しているニュースはありましたから、こういう違った波と新型コロナの感染の波をもう少し繰り返しながら本当に収束していくのだろうと受け止めていました。

最初の頃のようなICUでECMOが必要なほどの重症者はいなくても、そして症状はだいぶ軽くなったけれど症状が出る前には感染力を持つことがCOVID-19の特徴であり、気づいたら家族や周囲にも感染を広げさらに後遺症もまだ未知の部分が多いことを思えば、もう少しだけ行動を慎重にした方が良さそうですけれどね。

 

私にとってはまだ「3年ほど」で、社会が落ち着くのはあと「最低でも数年(5~6年)」はかかるだろうぐらいに思っていました。

 

ああ、そうか「数年」に感じるそれぞれの違いから来るのかとちょっと腑に落ちたのでした。

 

そして「未曾有」の何かが起きた時には、大きな不安やその時代に耐えることの辛さゆえに「それはなかった」と思い込みやすい雰囲気が出るのかもしれませんね。

そーっとこの嵐のような時を待つしかないのかもしれません。

 

 

 

 

「数字のあれこれ」まとめはこちら

新型コロナウイルス関連の記事のまとめはこちら

失敗とかリスクについてのまとめはこちら