医療介入とは 108 子宮の中に残さず、妊娠を終了させる

私の手元には30数年前の助産婦学校時代の教科書(当時は助産婦が正式名称)と、サブテキストとして使用していた「最新産科学ー正常編ー」「最新産科学ー異常編ー」だけはとってあります。

 

当時は本当に最新の知識だったのですが、いま読み返すとむしろ子宮内がブラックボックスだった時代に近い内容になっています。

 

最近の産婦人科医療の進歩は、10年ひとむかしどころか、2~3年もすると変化しています。

 

紙の色が変わっていく昔の教科書を読みながら、子宮の中に残さないための方法や考え方の移り変わりを思い出して、何がその変化のきっかけだったのだろうと思い返しています。

 

 

*癒着胎盤への対応を思い返す*

 

それだけ劇的に妊娠に伴う子宮内の変化が解明されてきたというのに、その妊娠を終了させるための体の仕組みもまだまだわかっていないことだらけだと痛感することばかりです。

 

たとえば赤ちゃんが生まれると数分ぐらいで、つるりと胎盤が剥がれて娩出されて分娩が終了します。

学生の頃の「胎盤娩出」の知識から、最近では、体の中の巧妙な仕組みに畏敬の念でしかありません。

それでも、胎盤が剥がれずに人為的に処置が必要な場合があります。

 

医師が子宮内に入れた手で用手剥離(ようしゅはくり)を試みることで、たいがいは出ていますが、中には残ってしまうことがありました。

 

いつ、どのタイミングで、どのような処置をするか。

時代の変化だけでなく、施設間でも考え方には差があるとは思いますが、癒着胎盤ひとつとってもだいぶ対応の仕方が変化しました。

 

90年代に勤務していた病院では、できるだけ早く娩出を試みていました。

それまで胎児を育てていた大事な胎盤もお産が終われば体にとっては「異物」でしかないので、そこからの感染を起こさないことが優先順位としては高かったのだろうと思います。

流産手術や人工妊娠中絶手術のように掻爬法で一気にかき出すことはできないのかなと「素人的」に思ったのですが、分娩直後の子宮は穿孔(せんこう)を起こしやすいという話を医師から聞いた記憶があります。

胎盤鉗子でそっと試みて、うまくいかなかった場合には抗生剤の点滴をしながら待機していました。

 

大雑把な記憶ですが、2000年代に入ることには「抗生剤も無しで、そのまま退院させて1ヶ月ぐらいまで自然待機」という方法や、抗がん剤を投与して人工的に胎盤を萎縮させて娩出を図るようなことも耳にするようになりました。

 

案外と感染を起こさないという知見が積み重なったのでしょうか。

そして耐性菌の問題もあって、抗生物質の使用を最小限にするための試行錯誤の時代に入ったこともあったのでしょうか。

 

「分娩直後の子宮は穿孔しやすい」ということがわかったのも、そこには膨大な症例報告に学ぶしくみからなのかもしれません。

 

*子宮の中に残さず妊娠を終了させる*

 

妊娠初期の流産も、最近は自然に排出されるのを待つようになってきました。

 

これもここ20年ほどの妊娠判定薬経膣エコーによって、妊娠の診断がより正確にできるようになってさまざまなことがわかり、どこまで待つか、待てば自然に排出される割合がどれくらいあるといったデーターが積み重ねられたからなのだと思います。

 

そして、「生理がこないから妊娠と思って受診」していた時代だと、産婦人科医でも妊娠7~8週まではあまり診察する機会もなく、ブラックボックスだったのかもしれませんね。

 

待機していて自然に子宮内容(胎のう)が排出される機序もすごいと思いますが、やはり中には子宮内容除去術(掻爬)が必要な場合もあるようです。

 

「子宮の中に残さず、妊娠を終了させる」ための診断と技術。

産科医の先生方の判断をそばで見ていて、すごいなとその点にも畏敬の念を抱くようになりました。

 

 

 

「医療介入とは」まとめはこちら