新潟はなぜ「潟」なのかの答えにはまだまだ到達しないのですが、ブログの中で何度も「潟」という字を使っています。
パソコンで転換するのは簡単なのですが、手書きだとちょっと書きにくい字ですね。
さんずいはともかく、「臼」をバランスよく書こうと気を取られると余計に全体が変になってしまうという緊張感です。
そしてその「臼」でさえ、時々「あれっ?正確にはどうだったっけ?」となります。
最後の点四つを書き終える頃には、訳がわからなくなることもしばしば。
この書きにくさのためか、あまりその語源まで考えたこともありませんでした。
この「潟」はどのようにできた文字だったのでしょうか。
「漢字/漢和/語源辞典」の説明に、そうだったのか不意をつかれた感じです。
「流れる水」の象形と、「かささぎ(鳥)」の象形から、かささぎが飛来してくる「干潟」を意味する「潟」という漢字が成り立ちました。
地面とか地形を表していたのかと思ったら、まさかの鳥に由来したものだったようです。
その「かささぎ」とはどんな鳥なのか、まったくもって思い出せません。
Wikipediaを読むと鳥綱スズメ目カラス科と、これまた意表をつく分類方法が書かれていて、パンダのような白黒の模様のカラスのような鳥の写真が載っていました。
「かささぎ保全地区」として、福岡、佐賀の干拓地のある地域の名前がありました。
「潟」とはどのような場所か。
内湾や浅海の一部が、砂嘴(さし)や砂洲、または沿岸洲によって外海から切り離され、湖となった地形で、潟湖(せきこ)・ラグーンともいう。一般に水深は浅い。海水と陸水が混じり合い汽水をたたえるが、潮口を通して、干満に伴う外海水との交流が行われることが多く、塩分は時間的にも空間的にも大きく変化する。海底が比較的傾斜で潮差が小さい沿岸によく発達し、このため日本では太平洋岸より日本海岸とオホーツク海沿岸に多く見られる。しだいに埋め立てられて海岸湿地となる場合や、人工的に排水されて埋め立てられることが多い。北海道のサロマ湖、石川県の河北潟(かほくがた)、干拓が進められた秋田県の八郎潟などは潟の典型的な例である。
いつ頃の時代に、干潟にいる鳥を観察してこの文字ができたのでしょうか。
*新潟県の山間部に「潟」があるのはなぜか*
沿岸部の「潟」はイメージとして理解できそうですが、海岸線から離れた長岡あたりでも八丁潟のように潟がつく地名が残っているということは、このあたりまで海だった時代もあったのでしょうか。
答えが、「水土の礎」の「第5章 現在の新潟平野」に書かれていました。
この図は、経緯、標高などの正確な地図データーを解析し立体化したコンピューター画像である。要するに、ビルや家屋などの建設物をすべて取り払ってしまった裸の大地の姿。私たちは、まず、現在の地形が寛治図と大差ないことに驚かされる。図の砂地のように見える地帯が、かつて全部海だったとしても不思議はない。
11世紀の頃も海岸線は内陸部より高くなっていて、亀田郷のように海抜0メートル地帯もあり、「新潟平野は全体として細長いすり鉢のような形状」で「海というより広大な湖」であると書かれています。
歴史的に見れば900年という極めて短期の間に、浅い湖は山脈からの土砂に埋め立てられ、八郎潟の何倍もある巨大な”潟”が形成されたのであろう。
「潟」が多いので新潟県なのかと思ったのですが、新潟平野そのものが潟だったということでしょうか。しかも900年という「最近できた潟」なので「新しい潟」なのでしょうか。
昔の人はいつ頃からこの「潟」の地形に気づき、「潟」という概念を持ったのでしょうか。
気が遠くなってきました。
*おまけ*
一時期住んでいた東南アジアのある国で、「ラグーン」という言葉を聞いたことを思い出しました。
確かに、潟の地域でした。
ラグーンの語源は、鳥と関係があるのでしょうか。
それとも語源も言語も違うのに、観察によって共通した「潟」という地形を理解できるようになったとしたらヒトの世界も不思議ですね。
「観察する」まとめはこちら。