散歩をする 382 関西本線で四日市へ

奈良へ向かうのに、今回は名古屋から関西線で木津に向かい、京都から北陸を通過する一筆書きの乗車券にしてみました。

 

8月下旬、早朝すでに22度で猛暑日になりそうな暑さです。品川を6時に出発するのぞみでしたが、自由席に長い列ができていました。行動制限がなくなり、新幹線のホームも以前の雰囲気に近くなりました。

今日は晴れそうです。品川を出てからわずか5分で青く水面が輝く多摩川を通過しました。こんなに速いのに通勤途中で見かける新幹線は15秒以内の正確な運行なのだと、しんみりと感激しますね。

新横浜でまた多勢の方が乗車して満席に近くなりました。新型コロナが広がってからの新幹線での遠出では、一番の混雑でした。

 

沿線の水田は緑とうっすら黄緑色になった稲穂が一面に広がっています。本当に美しい風景ですね。

この次に新幹線の車窓から見るのは稲刈り後のひこばえの風景かと思っていたら、豊川を超えたあたりですでに稲刈りが終わった水田もあり、明治用水漏水後も田植えが行われていた矢作川右岸では無事に稲刈りが終わっていました。

定刻通り三河安城を通過し、7時27分名古屋駅につきました。

 

関西本線四日市へ*

 

名古屋では7時36分の関西本線亀山行きに乗って、加茂駅でJR大和路快速に乗りついで10時49分木津そして11時4分には奈良駅に到着する予定でした。

ところが亀山行きがなくて43分の四日市行きしかありません。それだと四日市駅で50分ほど亀山行きを待ち、奈良には12時4分到着になり、1時間も計画が遅れることになります。

事前に何度もパソコンで時刻検索をしたはずなのですが、理由はわかりません。

 

いつもなら分刻みの散歩のスケジュールですが、今日はツルボを眺めるだけなので計画を大きく変更することにしました。

 

そうだ、せっかくなので四日市駅周辺を歩いてみよう。3年半前に南紀を訪ねる途中でみた四日市の青い空が印象に残っていました。

半世紀以上前の小学生にとって四日市は大気汚染がひどいイメージで、「知らなかったよ、空がこんなに青いとは」の歌をいつも思い出す、同年代の子どもたちが喘息で大変だった記憶がある場所でした。

 

庄内川、新川、福田川と越えていくにつれて、昨年10月に長良川河口堰を訪ねた時に歩いた弥富のあたりまでの水田地帯の懐かしい風景になりました。

木曽川長良川そして揖斐川を越えると列車はぐいっと南へと向きを変え、桑名駅を超えたところで水量の多い川を渡りました。「員弁川(いなべがわ)」で、読み仮名が書かれていなかったら読めそうにありませんね。その上流にある「いなべ市」がひらがな表記なのも難読だからでしょうか。

 

このあたりから工場地帯と古い街並みが混在する風景になりました。

水田も残っていて、稲穂が重みで倒れ始めていました。鶏頭やダリアが咲き、ススキの穂が出て、柿が色づき始めていて8月下旬はやはり秋ですね。

車窓からはツルボは見つけられませんでしたが、奈良ではツルボが咲いているに違いないと確信するほど初秋の風景でした。

 

富田駅には太平洋セメントの工場が隣接していて、「炭酸カルシウム専用」と書かれた貨物が停車していました。

生活には欠かせないものなのにセメントについてもその歴史も知らないことばかりです。

 

四日市駅のすぐ手前に稲刈りが終わった小さな水田を見つけ、8時31分に到着しました。

 

*JR四日市駅周辺を歩く*

 

駅の東側は工場やその引き込み線があり、西側に出口がありました。

街路樹の涼しそうなまっすぐな大通りがあり、その真ん中が公園のようになっています。

市内の観光案内板を見ましたが、次の電車に乗るまでの50分で行けそうな場所ではないので、駅の周辺をふらりと歩いて見ました。

 

広いロータリーなので、信号を待って渡るだけでも数分ぐらいはかかりそうです。

 

スマホのマップでパン屋さんが掲載されていました。家を出たのが朝早く、すでにお腹が空いています。

その方向を目指しましたがお店らしき場所がなくて引き返そうとした時に、古い民家から人が出てきました。

もしかしてと訪ねたら、木造の懐かしい家屋がパン屋さんでした。

ハムマヨネーズ、りんごとカスタードに胡桃が入ったもの、おしゃれで美味しそうです。ついついシナモンロールも購入してしまいました。どれも200円でした。

これから昼食のために買いに来る人が多そうです。

70代ぐらいの方でしょうか、柔らかな物腰の女性でした。何時からパンを焼き始めているのでしょう。

 

予定していた列車がなくて急遽立ち寄った四日市でしたが、このお店やその周辺の雰囲気を感じることができただけで満足しました。

 

ちなみにJR四日市駅の西1kmほどのところに近鉄四日市駅があり、そこが旧東海道の賑わいが残る地域のようです。

1890年に現JR四日市駅関西鉄道の開業に伴って開業し、大正時代の1913~1922年に近鉄の駅ができたようです。

 

お天気にも恵まれ青空が広がる美しい四日市の空と目の前の工場地帯を眺めながら、ホームのベンチでパンをいただきました。

半世紀前にこういうパン屋さんが街なかに増えた時代を思い出す、懐かしい味でした。

 

 

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