今回の3月中旬の奈良から若狭への散歩はどんな書き出しにしようかと、当日のメモを読みなおしました。
いつもだったら車窓の風景に集中する内容なのですが、こんなことを記録していました。
空いている。繁忙期前。
品川、ハンドドライヤー
自分のやりたいことを強引に。お気持ち。閣議決定。権威。
新幹線内の案内。終息宣言が出てからでも良いのでは。「会話は控えめに」は残して欲しかった。
1月下旬には新幹線も混雑していましたが、今回はちょうど年度末でまだ繁忙期前のためか空席があり、隣りの人との間隔もとれたのでホッとしました。
新幹線駅構内トイレのハンドドライヤーが使用できるようになっていました。感染症の専門家からも問題はなさそうな意見がありましたが、あくまでも十分に手洗いをしたことが前提ですね。
今年に入って「コロナは終わった」かのようにトイレでの手洗いが石鹸を使わなくなっただけでなく指先だけちょっと濡らす程度の人を見ることが増えたので、私はまだちょっと気持ちがついていかないですね。
場所によっては、「節電のため使用中止」が貼られていますけれど。
今回の遠出は、ちょうどJR東海の「国土交通省から新型コロナウイルス感染拡大のためのお願い」の放送がなくなった直後でした。
周囲はマスクをしている人がほとんどでしたが、大きな声での会話が復活しました。
「(マスクをしてしゃべっているだろうか)」と気になりながらも、確認するのはちょっと憚られますね。
新横浜から乗った女性たちは、少し席が離れているのですが話の内容が全て聞こえ来るくらいの音量で、京都駅まで1分の沈黙もないほど喋り続けていました。
女性二人だけでも、「姦(かしま)しい」ですね。
大きな声の会話はうるさいし、人のプライベートな話を延々と聞かされたくないといった気持ちの問題に加えて、この3年間で飛沫を飛ばさないように気を付けることを社会は学んで1世紀後にも残る「新しい生活」の一つになると期待したのですが、無理そうですね。
なんとか会話から逃れようと、1月に歩いた場所を見逃さないように車窓を眺めました。
やれやれ京都まで会話を聞かされ、同じ駅で下車するとは。
それでもこれで奈良までは静寂を楽しめそうと安堵しました。
8時24分奈良行き。大勢の観光客で満員。観光客は東福寺駅と稲荷駅でだいぶ下車。
ほとんどマスク姿。政府は国民の雰囲気を見誤ったのでは。
海外からの観光客、うるさい。
9時34分奈良駅到着、混雑。トイレ少ないので長蛇の列。
40分まほろば線。座席ゆったり。男性ずっとおしゃべり。
品川を出て10時15分にJR畝傍駅に到着するまで、列車内の会話に気を取られる散歩の始まりとなりました。
女性だけでなく男性も、年代に関係なく、そして国籍も関係なく、本当に大きな声でよく喋る時代ですね。
なんだか次の未曾有の感染症を引き込むかのような生活の緩め方のように思えてしまいますが、それでも今が楽しければ良いという刹那的な気持ちなのでしょうか。
そして静寂と人との距離を保てる新たな旅の時代が短いまま終わってしまいました。
そして大好きな奈良も、また人混みの観光地に戻ってしまうのでしょうか。
ちょっとしょんぼりの気分ですが、いよいよ吉野川分水の歴史を訪ねます。
「散歩をする」まとめはこちら。