散歩をする 487 倉見駅から「あの場所」を目指す

昨年秋は熊出没のニュースが多かったので、出かけたい場所はたくさんあるのに涙を飲みました。

そんな時には散歩の原点に戻って車窓から見えた風景を歩くことにしようと地図を眺めました。

都内の東海道新幹線の沿線はほぼ歩いたので、神奈川県内を歩いてみようといくつか計画ができました。

 

のぞみが新横浜駅を出ると次は名古屋なので、一気に加速するのかあっという間に通り過ぎる神奈川県内の風景を覚えるのは大変です。

とりわけ山が住宅地になった場所はどこも雰囲気が似ているように見えてしまうので、GPSをオンにしながら車窓の風景と地図を見比べてもなかなか場所を覚えられません。

しだいにランドマークが目に入るようになり、「あの場所を実際に歩いてみたい」と思う場所が増えました。

 

丘陵地帯を抜けて相模川左岸の平地に入ったところに、温水プールが見えます。そばにまっすぐな用水路に水田地帯が広がっています。

その場所を目指して10月下旬に出かけてみました。

 

最近は「あの日から考えたこと」が激増しているのでどんどんと散歩の記録が遅れてしまい、とうとう4ヶ月遅れになりました。

 

 

倉見駅

 

スタートはJR相模線倉見駅です。すぐそばが相模川で、河川敷ギリギリに圏央道と国道が高架橋になってちょっと近未来のような場所です。

まだ建設中だった頃の記憶があったのですが、あれはいつ頃だったでしょう。正式には首都圏中央連絡自動車道というのですね。1987年に計画ができて、この倉見駅のあたりは2010年ごろの完成でしょうか。

 

改札を出ると、自転車置き場に駅の説明がありました。

倉見駅

相模線は、大正10(1921)年9月、茅ヶ崎ー寒川間で開業したのを皮切りに、大正15(1926)年4月に倉見まで、同年7月に厚木まで線路を延ばし、昭和6(1931)年4月に橋本まで全線開通しました。この中で、倉見駅は、大正15年に開業した当時の建物を今でもそのまま使っていて、現存する相模線の駅舎の中で最も古いものです。

 駅舎だけでなく、ホーム、倉庫など全てが鉄筋コンクリート造りでした。

 関東大震災直後ということもあって、地震や火事に備えるために建てられたのですが、補修費の軽減も狙い、当時としては大変画期的なことだったといわれています。

      平成17年3月  寒川町教育委員会

 

蒸気機関車の前で記念撮影をする方々と建てられた直後の駅舎でしょうか、2枚のセピア色の写真もありました。

 

倉見駅の南側数十メートルほどのところに東海道新幹線の高架橋が通っています。

散歩のスタートから新幹線見放題と期待していた通りに、さっそく新幹線が通過していきました。

真っ青な秋空に、白と青い線の車体は本当に美しいものです。

新幹線に乗っている時には「もうすぐ相模川だ!」と集中しているのですが、そのすぐそばにこんな駅の歴史があったのでした。

 

1876(明治9)年に人造石工法が編み出されたあとじきにコンクリートに置き換えられた歴史を思い出しました。

その人造石工法開発の半世紀後には震災にも強いコンクリートのこの駅舎が造られ、90年後には土手が整備されて新幹線の高架橋が建設され、一世紀後には自動車のための高規格幹線道路が張り巡らされるようになったようです。

 

新幹線では一瞬で通過してしまう場所ですが、驚異的に変化した一世紀の歴史が残っていました。

 

 

 

 

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