遠出の散歩が近づくと、見ると幸せになるあれをまた見ることができないかなと、げんを担ぎたくなる気持ちになります。
昨年、九州を訪ねた時に最初から最後まで幸運と偶然に恵まれたのもそのおかげと思い込みたくなるものでした。
出かける回数という分母が増えれば、アクシデントに遭遇する確率が高くなるし、反対に幸運や偶然の確率も高くなるということにすぎないのですけれど。
3月中旬、翌朝6時前には家を出るので早々に準備をして寝ていたら、ふと目が覚めました。不思議といつも地震の直前に目が覚めるので、地震かくるかと思っているとなんとなくゆらゆらして一旦おさまりました。
なんとなく嫌な予感がしているうちに、2011年3月11日を思い出すような揺れがきました。
すぐにテレビをつけると、福島沖が震源地であることと津波注意報が出始めました。
今回の遠出はキャンセルでもやむなしとあきらめ、大きな災害になりませんようにとだけ祈るしかなく、テレビをつけながらうつらうつらしながら朝を迎えました。
東北新幹線は白石のあたりで脱線し、高架橋が破損されていることが伝えられていましたが、都内の在来線と東海道新幹線は平常通りの運転となっていたので、出かけることにしました。
*一瞬で壊れる風景*
2019年に北上川を見にいき、以来、郡山までの一筆書きの散歩、常磐線の代行バスに乗る、「海道」を訪ねる散歩、あるいは阿武隈川を訪ねる散歩、そして昨年、念願の北上川の源流を見て、三陸鉄道に乗って海岸線をぐるりと見た東北のあちこちの街が思い出され、今回の地震で大丈夫だろうかと心配でした。
一度、歩いた場所、通過した場所というのは、国内外に関係なく、まるで自分の住む場所のように気になります。
20代の頃、初めて東南アジアで生活をした時に、「将来、この国と再び戦争をすることになったら、私は命をかけても両方の国の人のためになることをしよう」と、青年らしい正義感を持ったのでした。
さて、翌朝6時58分発ののぞみは予定通り、品川駅を出ました。
車窓の風景に集中しながら、今回はこんなことをメモしていました。
街が一瞬に消える、自然災害と戦争、理不尽さが違う
沿線、一度歩くと街の空気、記憶
それが壊される
市井の人の良識を軽んじてはいけない
今回の散歩は、自然災害と戦争、その両方を考えながら車窓の風景を見続けることになりました。
*ありのままの風景を観察する*
子どもの頃から車窓の風景が好きで、乗り物に乗るとずっと見続けていたのですが、その間、何を考えていたのだろうと思い返してみると、20代から30代ごろは貧困とか内戦・紛争といった不合理に対して、解決するための知識や答えを求めながら風景を見ていたのだと思います。
今は、あの青年の時の気持ちは大事にしつつも、現実的には手も足も出ないその葛藤を受け止めることが大事なのだと変化してきたので、ただただ風景を眺めています。
以前、「まるでおもちゃかジオラマのよう」と書いたのですが、今はジオラマとおもちゃとは別物であるというところまで見えてきました。
メモにこんなことを書き残しました。
ジオラマ、ありのままを再現、イメージだけだと辻褄が合わない
そうだ、「植物の特性を変えない」で描くボタニカルアートと同じだ。
そんなことを考えていました。
ドクターイエローから脈絡のない遠出の始まりの記録ですが、しだいに新幹線脱線の詳細がニュースで伝えられるようになると、あの地震で緊急停車できたことはすごいことだと思いました。
そうした技術でいつも遠出の日程が守られ、そしてこの車窓の風景が壊れてしまわないようにさまざまな社会の動きがあるのだ。
30年ほど前にはそんなことは考えつかなかったので、少しは私も成長したのだろうかと思いながら車窓の風景の観察に集中したのでした。
まあ、ぼーっとですけれどね。
「発達する」まとめはこちら。