出産の正常と異常について考えたこと 6 より異常にさせないための無償の部分

このブログを始めた12年前は出産の安全性についての時代の葛藤の最中で、助産師や一部の産婦さんたちに広がっていた「正常な分娩は助産師だけで」という風潮に対してどうしたら「終わってみないとお産が正常だったかどうかなんてわからない」ということが伝えられるだろうか考えていました。

 

今では、正常なお産という言葉自体が幻想で、「いつ何がどうなるかわからないのが出産」だと思うようになり、私の中では「正常分娩・異常分娩」という境界線がすっかりなくなりました。

未知の感染症が出現するだけで、「正常な経過」なんてあっけなく崩壊しますしね。

 

 

*健康保険の中の正常と異常*

 

ただ、健康保険というシステムは「病気やケガによって生じる経済的な負担をお互いに支えあることを目的にしている社会制度」なので、「疾病・ケガ(異常)」かという給付を決める境界線が必要になりますが、妊娠・出産の場合は経過を見ていくだけで特に治療が必要ない状況があるのでなかなかすんなりとこの健康保険に当てはめにくそうです。

 

しかもこの30年ほどの周産期医学の驚異的な進歩で、「経過を見る」部分の質も量も飛躍的に増えました。

採血やエコーも項目や頻度が格段に増えましたが、より専門的な検査へとつなげるためのスクリーニング的な部分は健康保険とは馴染まないために自費でいったん計算し、その分を公費で補助するシステムを後からつくる方法にならざるを得なかったという理由でしょうか。

 

また分娩の入院も20~30年前ぐらいだと、破水で始まったお産の待機期間や誘発あるいは分娩時に出血が多いと入院中の3日間は保険適用分といった計算をしていたこともあった記憶があるのですが、いつの間にかほぼ「正常分娩」扱いが増えましたね。

 

健康保険扱いになって負担が減ると喜んだのもつかの間、時代が変わると保険適用から削られるやり方だとその負担は誰が払うのでしょうか。

あるいは最初から安い診療報酬に設定して「医療費削減」を図るのでしょうか。

 

 

 

*無償の見えない持ち出し分こそ可視化を*

 

分娩の本質はそれまで問題がなくても突如として母子二人の救命救急になり得ることなので、そこにはもはや正常か異常かの境界線はなくて、常に「より異常にならないように対応する」しかないことも健康保険とはなじまない点でしょうか。

 

この「より異常にならないように対応する」ために、医師の高度の診断や技術、スタッフの観察とかケアにかけられるマンパワー、高額な医療機器そして地域の周産期医療ネットワークなど、本当に現代の産科にはお金が必要です。

ところがうまくいけばいくほど、その無償の部分、言い換えれば施設の持ち出し部分は見えなくなります

 

まだまだ妊娠出産についてわかっていることなんて限られていますし、時代によってどんどん「妊産婦さん」も変化していますからね。

 

ここ十数年ほどで急増した印象があるのが、精神的な疾患の既往歴がある女性の妊娠です。本当のハイリスクなのかカジュアルに診断されることが増えたのかわからないのですが、そういう方のお話をうかがったり対応する時間が多くなりました。

虐待を防ぐため産後うつを早期に対応するためと、家族歴から本人の生活やら経済状況といった、それまで「それは本人自身で解決する問題」だったりかなりプライベートな部分へも関わり、さらに行政との調整まで必要になる方が劇的に増えました。

 

社会的リスクに相当な時間をかけて対応しているのに、これも施設側の持ち出しともいえるのかもしれません。

無事に終われば何かしてもらったとは認めてもらえないケアの部分です。

 

医学の進歩で高度な医療が当たり前になればなるほど、その分がどんどんと保険から削られていく。

社会のニーズに合わせていけばいくほど持ち出し分は増えるのに、結果、問題なく過ごせるようになるので「異常」には反映しにくい。

 

 

昨日の記事の「各医療機関ごとの出産費用・分娩実績が一目瞭然、厚労省が比較サイト開設へ」からあれこれと検索していたら、これがどうやら昨年厚労省が始めた「出産費用の見える化等について」の流れだとわかりました。

むしろこういう分娩施設のより異常にさせないための無償の努力こそ「見える化」してほしいものだと思いました。

 

なんだか最近こういう文学的表現やかっこ付きの用語の政策が多いですね。

 

 

*おまけ*

 

「出産祝いの夕食や産後のマッサージなどの料金が最初から負担額に含まれる医療機関があるなど、不透明さも指摘される

分娩施設のせいでしょうか?

 

「産後ケア」もそうですが、現実のニーズとはかけ離れた言葉や本質的ではない「ケア」が広がったのは、政府の「骨太の方針」やらも影響しているわけですし、経済的に豊かだった時代に社会がそういうものを求めていたこともありますよね。

 

ほんの数十年ほど前まで、産後十分な休養も栄養も取れずに家事や労働をせざるをえなかった時代があった、ようやく分娩施設で1週間とか帝王切開なら2週間とか休めるようになったのも束の間、分娩施設が減ったことで早期退院の方向が加速されました。

産後のお母さんが休めるように、そして新生児も黄疸や体重が安定して安全に家に帰れるぐらいまで医療スタッフも一緒にケアすると築いてきた歴史も遠くになりにけりでしょうか。

なんだかなあ。

 

さらに保険適用にすれば、医療費削減を理由に当日退院という方向も強行される可能性があることでしょう。

分娩施設側には「お母さんや赤ちゃんにこうしてあげたい、こんなケアをしてあげたい」と思っても、それに抵抗する術はあるのでしょうか。

本当にそれで良いのだろうか。

 

もう少し続きます。

 

 

 

 

「出産の正常と異常について考えたこと」のまとめはこちら

合わせて「医療介入とは」と、「産後ケアとは何か」もどうぞ。