まっすぐな海部幹線水路の先にある木曽川用水総合管理所の建物が近づいてきました。
左手には堤防の向こうに取水堰の一部が見えますが堰の上は県道134号線として利用されているので、大型車などがばんばんと通過していきます。
交通量の多い道を渡り堤防のそばの地区へ入ると田畑と灰色の屋根瓦の美しい静かな集落で、道端に脱穀した後の稲藁が干されていました。
地図で見つけた利水神社は堤防のすぐ下にあるようですが、その前に堤防の上に登ってみました。
馬飼頭首工がすぐそばに見え、河岸いっぱいに真っ青に水が湛えられています。その向こうに見える鈴鹿山脈の山並みの上に、真っ白な雲が点々と浮かんでいました。
上流の方を見ると緩やかに蛇行していて、木曽川にかかる橋と東海道新幹線の鉄橋が見えました。
新幹線のA席から見えていた建設中の橋で、2022年11月頃はまだ橋桁が完成して、橋が途中までできていた段階でしたが、昨年1月に通過した時には橋が完成していたのでした。なぜかまだマップにはその橋が表示されていませんが、この水量の多い木曽川の対岸を行き来することができるのは、便利になりますね。
どれだけのどのような方々が、あの橋の建設に従事されていたのでしょう。ご無事だったのでしょうか。
しばらく美しい木曽川の流れを眺めて、満足して堤防の下へおりました。
*祖父江馬飼地区の利水神社*
大きな堰の水神様ですから、鬱蒼とした鎮守の森と荘厳な社殿を想像していました。
ところが目指す場所にはそれらしきものも見えません。
小さな公園のような場所を行き過ぎそうになったところ、小さな祠があり石碑がありました。
今その写真を見直すと、堤防の緑と真っ青な秋の空を背景に緑青の小さな屋根の祠ですが美しい姿です。
川風や大雨にも微動だにせずこんなに小さな祠が建っていることが、なんともすごいことですね。
鎮守の森の代わりに小さな藤棚もあります。
そしてここもまたどなたかの手によって、おそらく毎日掃き清められ手入れされているのでしょう。
参道のそばに説明板がありました。
佐屋川用水から木曽川用水へ
この場所は、木曽川大堰が建設されるまでの間、佐屋川用水の取入口であった佐屋川樋門があった場所です。
佐屋川が、正保3年(1646年)に木曽川から分派されて以来、人々はかんがい用水や舟運などの水の恩恵を受けてきました。
その一方で、暴れ川である木曽川は佐屋川の流れを幾度となく変えたりし、人々の生活は川の流れに翻弄されてきました。
昭和27年(1952年)には、建設省(現国土交通省)により旧樋門の上流50mの地点に佐屋川用水樋門が完成したことにより、木曽川本川の影響は少なくなりましたが堆砂や下流地域の塩水遡上、悪水の排水阻害等の支障が生じていました。
その後、昭和43年(1968年)、国により「木曽川水系における水資源開発基本計画」が決定され、木曽川総合用水事業が実施されることになりました。
この事業は、水源施設である岩屋ダムと、中流部岐阜県内の木曽川右岸用水、下流部では木曽川大堰と海部幹線水路並びに弥富用水機場を中心とする施設で構成され水資源開発公団(現:水資源機構)が13年の歳月を要して昭和58年(1983年)3月に完成させ、同4月から管理を行なっています。
木曽川大堰で取水された水は、佐屋川用水から役割を引き継いだ海部幹線水路により西尾張地域のみならず、三重県桑名市東部長島地域に及ぶ広大な穀倉地帯を潤すと共に水道用水として多くの人々の生活を支えています。
木曽川は、長野県木祖村の鉢森山にその源を発し、山深い木曽谷を侵食しながら、飛騨川など多くの流れを交えて広大な濃尾平野に入り、河口付近で長良川、揖斐川と一ヶ所に集まり、伊勢湾に注ぐ大河川です。
この地域では、水を利用される有志の方々が木曽谷弁天竜王様をお祀りして、水との闘いに苦労された先人を偲び、水の恵に感謝し続けておられます。
なんと力強い水神様でしょう。
そして、この地域の困難を乗り越えてきた長い歴史に出会えました。
「水の神様を訪ねる」まとめはこちら。
新幹線の車窓から見えた風景を歩いた記録はこちら。
「樋」についてのまとめはこちら。