元清滝の貴布祢神社からの坂道の山側にも住宅地があり、宅配便の方が坂道を登ったり降りたり走っているのが見えました。ご苦労さまです。私だったら一日働いただけで、翌日は寝込んでしまいそうですね。
石垣の土台に立つ美しい住宅地からは、かつては海が見えたのではないかと思いますが、今はマンション群が港との間に建っています。
こういう点が、そこに住む人の思いや歴史をないがしろにしたことで景観と建築物がちぐはぐになる失敗がそこかしこにできてしまった半世紀だったと思いながら歩いていると、美しい煉瓦造りの九州鉄道記念館が見えてきました。
鉄道の歴史も捨て難いのですが、残り時間はあとわずか。
今回は海を眺めてぼっとすることにしましょう。
休日ということもあって、門司港は観光客がたくさん歩いていて、食べ物屋さんには行列ができています。
*「門司港出征の碑」*
人の話し声から解放されるような場所を求めて歩いていると、石碑がありました。
門司港出征の碑
ご存知ですか、先の大戦中、ここ門司1号岸壁から
200万人を越す将兵が、はるか南方の戦線に
あるいは大陸の戦地へと赴いたことを
そして半数の100万人の将兵は、生きて再び故国の地を
踏むことが出来なかったことも
門司港の山河を日本最期の風景としてその目に焼きつけ
踏むことが出来なかったことも
恒久平和を願う不戦の誓いを込めて
ここに門司港出征の碑を建設しました
近代日本黎明期から、門司港の発展に
この港湾が重要な役割を果たしてきましたが
この碑が忘れてはならない
歴史の語り部となりますように
門司港出征記念碑建設委員会
「門司港岸壁で出征兵士を送る光景」という古い写真がはめ込まれています。
船と見送る人を繋ぐたくさんのテープが見えます。
そして戦況が悪化してくると出航は軍事機密となり、こういう光景が見られなくなったことが記録されていました。
*馬の水飲み場*
少し離れたところに、水道のようなものと説明板が見えました。
丸い石臼のようなものに「門司市 畜産組合馬水飲場」と彫られています。
出征軍馬の水飲み場
昭和六年の満洲事変勃発から第二次世界大戦にかけて、日本全国の農村から多くの農耕馬が軍馬として徴発され、この門司港から軍用船で戦地に渡りました。
その数、百万頭に及ぶといわれています。
そして、馬は、再び故国の地を踏むことはありませんでした。
このため、馬にとって最後のお別れの水を飲んだところとなってしまったのがこの水飲み場です。
当時は西海岸通り周辺に数ヶ所あったといわれていますが、今は一つだけが残っています。
港町・門司の歴史を後世に伝えていくとともに、平和の尊さを忘れないよう、ここに保存するものです。
「馬が好き」だった父の別の気持ちを知ったような気がしました。
そしてあの鹿沼市で見た「徴馬勝善神」の石碑を思い出しました。
「馬は再び故国の地を踏むことはなかった」。
長い間、人の戦いに駆り出されてきた馬にとって、ようやく不戦の時代になったのだと。
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