生活のあれこれ 51 「普通に暮らしている人」がいきなり住めなくなる

「人々が普通に暮らしていけるような政治」の記事の中に、「原点は『庶民の住宅』」という箇所があります。

新しい首相が「少年時代を過ごした」のは「一軒家を左右対象(原文のママ)に中央で区切った、典型的な『庶民の住宅』でした」とキャプションのついている写真を見ると、日本ならさしずめ「閑静な住宅地の庭付きの瀟洒な家」のレベルです。

 

この写真と都知事選でも話題になった神宮外苑の再開発とがつながって、もやもやしていたことが少し見えてきました。

って、何だかわかりませんよね。

 

 

*「本社ビル敷地の資産価値が増加します」*

 

7月5日付で「神宮外苑再開発めぐり伊藤忠商事が異例の長文の声明を発表 トレンドワード」(日刊スポーツ)という記事がありました。

 

神宮外苑再開発については、「〇〇本の木を伐採」が争点になっていくのは何だか違うような気がすると思っていたのですが、この声明を読んで地価とか「資産価値」という時代の雰囲気にもやもやしていたのだと思いました。

 

おおむね伊藤忠商事の声明の内容は筋が通っていると感じましたが、引っかかったのはこの箇所です。

 伊藤忠商事が当プロジェクトに参画した経緯は、築43年を経過し老朽化が始まりつつある東京本社ビルの建替を検討するにあたり、すでに計画検討が始まっていた神宮外苑の「みどりを守る」ための施設建替計画において、各社の建設費捻出や事業継続性が課題であったことから、当社も含めた地域一体開発という手法で解決していこう、と声をかけていただいたことに始まります。この手法は、地域全体で新たに建設可能となる総床面積を、土地所有者の計画ごとに按分し、その権利に応じた資金をコンソーシアムに拠出するというものです。当社が単独で建替をする場合は現法令のさまざまな規制のため現本社ビルよりも低いビルしか建設できないところを、一体開発に参画することでより大きなビルを建設することが可能となり、東京本社ビル敷地の資産価値が増加します。そして当社がコンソーシアムに拠出する資金もまた、神宮外苑の施設建替や更新に活用され、そこからまた収益が生み出され将来に亘り神宮外苑の「みどりを守り続ける」ためへと循環していくのです。

きっと経済的には「全方よし」の計画なのでしょう。

 

 

*地価が上がりすぎて住めなくなった人たちは何処へ*

 

一時都外で暮らした時を除くと、私にとっては半世紀以上、東京が生活の場です。

三十数年前は幹線道路沿いもまだ畑が残っているいるくらい「都心から離れた地域」だったところに住み続けていますが、90年代以降しだいに地価が上がり、気づくと「瀟洒な住宅地」と呼ばれてしまうようになりました。

 

90年代になると親の資産やローンでマンションを買うことができる私より年下の世代が出現したり、駅が近い場所などは再開発で地上げとか立ち退きが話題になりました。

 

たしかに必要な再開発や道路建設もあって、長い時間をかけて双方が歩みよってきたことで住みやすい街になってきたこともあるでしょう。

 

ただし、土地を持つことなく賃貸で生活している場合には、地価やその地域の資産価値が上がると住み続けることが難しくなりますね。

どんなにその地域を愛して、年々高くなる住民税や都税を長年まじめに払い続けてきても、「あなたの財産ではもう住めませんよ」と言われるような悲しさです。

 

 

*赤坂御所の前の都営住宅*

 

1980年代ごろの青山通りはまだベルコモンズや数階建てのビルがぼちぼちたち始めた頃で、そこから神宮外苑、絵画館のあたりは広い公園といった趣で静かな場所でした。

 

その東側にはすっかり高級な墓地のイメージになった都立青山霊園が広がっています。どんな場所なのだろうと歩いたのが2019年で、案外とごく普通の住宅が起伏の激しい場所にぎっしりと建っていることを知りました。1970年代ごろに、マイホームを手に入れる夢がかなった時代の家々でしょうか。

 

その都道319号線を歩くとじきに青山通りにぶつかり、目の前の右手には赤坂御所の広い敷地が広がっていますが、そこに隣接して都営住宅があることが印象に残りました。

地図では「都営北青山一丁目アパート」と書かれていますが、数年ぶりにその「アパート」を検索してみるとコーシャハイム、トミンハイムでなんと家賃18万円から22万円ぐらいのようです。

「都営住宅」といっても、年金ではとてもとても入れない「ハイム」ですね。

 

記憶では古びた昔ながらの都営住宅だったような気がしたのですが、Wikipediaの青山北町アパートを読んでわかりました。

「1957年(昭和32年)から1968年(昭和43年)にかけて建設された4階から5階建てのアパート」が、2019年ごろは20階建てに建て替えの最中だったようです。

 

建て替え前に住んでいた方々は、新しい住宅へ移転されたのでしょうか。

 

そうすると「こんなおしゃれで便利な住宅地に高齢者を住まわせるよりも、子育て世代を優先しろ」「家賃を払えないなら、郊外へ行け」という声が出てくるのですから、世知辛いものですね。

そうそう、南青山でもおしゃれな街に児童相談所なんてつくるなとかありましたね。

 

「都会の一等地」にさせられた場所はちょっと前は雑木林だったり、宅地には難しそうな起伏が激しい場所で、まるで開墾するかのように住み、東京のために働いて我が街を築いてきた人たちがたくさんいたのですけれどね。

 

「本社ビルの資産価値が上がります」

土地は誰のものか、そして「土地の錬金術」でつくられていくのが東京であり、住み慣れた場所で生活できなくなった人たちの長い長い人生の記憶が地面の下にたくさんあるのでしょう。

 

 

さて、また寄り道をしましたが、明日はその伊藤忠の前身、近江商人の発祥の街を歩く記録が続きます。

 

 

 

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