平和なくしてこの風景は見られなかったと、関門海峡の海底トンネル口から新幹線の高架橋沿いに歩き始めました。
かすかに走行音がしてきたので構えていると、さぁ〜っと小倉に向かって新幹線が静かに通過し、最後尾を写真に収めることができました。我ながら美しく撮れた新幹線に満足。
後ろを振り返ると緑美しい山に徳蓮寺の大きな黒い瓦屋根映えています。そこだけは何世紀も前から同じ風景かもしれないと思いながら、高架橋をくぐり国道3号線に向かいました。
上富野一丁目バス停で門司駅前行きのバスに乗る予定です。
北側は広大な車両基地で、国道側が少し高台になっています。海を感じさせる場所だと思って地図で確認すると「高浜」でした。名前の通りですね。
小倉駅に停車するためにゆっくりと通過していく新幹線がまた遠くに見えました。ほんと、美しい車体です。
ここからは海岸沿いにバスが走りますが、左手はずっと鉄道の施設が続いています。あとで地図を見返すと「東小倉駅跡地」があったようです。
小森江あたりは右手が切り通しでアップダウンのある道になり、かつては山が迫ってくる道だったのでしょうか。そんな場所でも、左手は海岸ギリギリまで工場があり、たまにチラリと関門海峡が見えました。
この右手の山の中を新幹線のトンネルが通っている場所です。
片上のあたりから海が見え始め、下関の街が近くに感じられるようになり、その間を大きなタンカーが通過していきました。
港町らしい雰囲気になりましたが終点まで行かず、門司区役所前で下車しました。
*元清滝の水の神様へ*
市役所の裏手からは急な坂道になり、目の前に三角形に見える小さな山がありました。立派な石垣の土台のある大きな家が続き、その向こうには鬱蒼とした森が見えてきました。
水の音が聞こえ、小さな滝があり、そこから水路が始まっています。
「土石流危険渓流 清滝川水系 清滝川」と表示がありました。小倉からここまで、大きな川は見えず、地図で確認してもこうした小さな川が単独で水系を作っている場所でしょうか。
御由緒がありました。
清滝貴布祢神社
水の落ちる二丈余、白糸を引くが如し。水勢少なけれど、いと清浄なり。依りて清滝と云ふ。此の水に頭をうたすれば、頭痛、めまいたちどころに治るとて、春秋の頃は、参詣人多し。滝の下に小社あり。清滝神社と云ふ。(企救郡誌)
大むかしーかすかに塩たく煙に、やっと人の住むところかと、わかるーそんな門司の、ここは楠原村(現在の門司港地区)清滝です。巨木がうっそうと繁茂する風師山のふもと。清浄なお滝が、年中糸をひいて落ちる。さとびとはお山、お滝を神として、しあわせを祈ってきました。
別名、滝の宮、この水で目を洗うと、効き目があるといわれ、「お滝のもらい水」といって、竹筒に汲み帰る風習があり、長州や筑前の遠くからも詣る人も多かった。さらに潮流の早い関門海峡、海の難所を前にしていることや、門司関を起点とする太宰府街道の要路上にあることもあって、「滝の宮」に貴布弥神社、稲荷社、道祖神をお迎えして、身体健康、家内安全、海陸交通安全、商売繁昌、五穀豊じょうを願って、おまつりが継承されている由緒もある、お宮です。
門司倶楽部から区役所へ出る道は、旧「太宰府街道」
清滝公園は、北九州市の公立公園第一号(大正五年開園)
三角山は門司本城の支城。この近くに「中屋敷」「馬の丞屋敷」などの古い地名があります。
先ほどの区役所からの坂道は太宰府街道だったようです。石垣のあるりっぱな家々は、おそらく昔からの道沿いだったからだろうとつながりました。
すごいですね、神社の御由緒には神様の歴史や地理や生活史だけでなく、公園の歴史や道の歴史まで書かれているので、本当に勉強になりますね。
まるで森の中のような参道の石段を上ると、鳥居と本殿がありました。振り返ると、木々の間に海沿いの街が見えます。
静寂の中、滝の音だけが響いていました。
いつ頃創建されたのかは書かれていませんでしたが、いにしえからどれだけの人々がここで祈ったのでしょう。
なんとも尊い場所を訪ねることができたと、膝がカクカクするような坂道を降りて、いよいよ最後の目的地へと向かいました。
*おまけ*
そういえばこの元清滝に石鎚神社を見つけたことがきっかけだったのですが、石鎚神社についての案内を見逃してしまいました。
この風師(かざし)山の中腹にあるのでしょうか。
いつ頃の時代に、どんな人の行き来によって信仰が広がったのでしょう。
「水の神様を訪ねる」まとめはこちら。
新幹線の車窓から見えた場所を歩いた記録はこちら。