2ヶ月ほど、あちこち寄り道しながら書き終わった昨年11月の散歩の記録ですが、最後に散歩のメモやら資料を片付けていたら大事な記録を忘れていました。
「上原井領(かんばらいりょう)用水」を検索していたら「新・水土を守る人々」を見つけました。
けっこう農林水産省の記事は読んだつもりになっていましたが、こんなシリーズもあったようです。
「水土を守る人々」〜農業水利施設を支える人々の日常〜
みなさん、水路などの農業水利施設を守っている人々の存在をご存知でしょうか?普段あまり目にする機会がないと思いますが、日照りが続く時には少ない水を広い農地にまんべんなく届けたり、大雨の時には水害に備えて水門の調整や排水機場の運転を行ったりして、安定的な農業用水の供給や地域の洪水被害の防止に日夜貢献している方々がいます。
ここでは、そんな人々の日常にスポットを当てて、その日常の取組を紹介しています。
是非ご覧いただき、農業水利施設を支えている人々の労苦や努力、熱い想いを感じてください。
2015年(平成27)から「水土を守る人々」が始まり、令和元年に「新・水土を守る人々」が続いているようです。
*「平成30年の西日本豪雨」のダム洪水放流*
2018年(平成30)のあの西日本豪雨に高梁川流域で対応された方の記録がありました。
100年に1回程度の大雨だった西日本豪雨は、活発な梅雨前線による豪雨で、岡山県下にも大雨特別警報が発令され、雨量観測地点で観測史上最大を記録するなど、各地で河川の氾濫、浸水など甚大が被害をもたらしました。特に当土地改良区の受益地である倉敷市真備町では高梁川支流の小田川の堤防が決壊し、約4600戸の大規模な浸水被害となりました。小坂部川ダムでも404mmの累計雨量となり、流入量は毎秒約440㎥、放流量は毎秒約420㎥と、ダム完成以来の最大値を記録しました。
私も現場で操作にあたっていましたが、異常な大雨が降る続ける線状降水帯に恐怖を抱きながらあも、細心の注意を払いダムからの放流を行いました。
その後、政府の要請もあり、令和2年度からは、利水ダムである小坂部ダムでも、農業用水に支障のない範囲で低水管理を実施すると共に、大雨が予測される場合には一時的にダムの水位を低下させて流入水をダムに貯められるようにする、事前放流に取り組んでいます。
やはり2018年の豪雨は50年に一度ではなく100年に一度の災害だったようです。
「線状降水帯」という用語が使われ始めたのが2015年ごろで、まだまだメカニズムも予測も難しい中で緊急放流をする判断を迫られる責任の重さはいかばかりでしょう。
*「平成6年の大渇水」*
今年は春先になってあちこちから渇水のニュースが聞かれましたが、2023年に訪ねた香川用水の水の資料館で知った「平成6年未曾有の大渇水」について、この高梁川水系の様子も書かれていました。
高梁川水系では、平成6年に昭和14年以来ともいわれる渇水に見舞われ、特に高梁川下流地域においては、最大で農業用水90%、工業用水70%、上水道50%
の取水制限が行われるなど、各利水者にとって非常に厳しい年となりました。小坂部川ダムにおいても、通常取水できないダムの底水を放流するため、県営高梁川渇水緊急対策事業により水中ポンプ36台を設置し、ポンプ揚水で合計2,737㎥を放流しました。まだ新人だった私は、干からびたダム湖から、水没していた骨組のみとなった家屋や小学校跡地が出現した異様な光景を目の当たりにしたことを記憶しています。その後、降雨によって徐々に水位は回復しましたが、この時ほど水の大切さを実感したことはありませんでした。また、これを教訓に自らの日常生活における水に対する意識も変わり、節水を心がけるようになりました。
1994年に新人だった方が、24年後に、おそらくこの方にとっては初めての緊急放流に立ち向かうまで、日々専門性を磨き、失敗に向き合いそして、経験を積むことでしかわからない現実の怖さがあったことでしょう。
「苦しい疲れたもうやめたでは人の命は救えない」し、こうした名もなき人々が陰で黙々と働いているからこそ成り立つ社会ですし、国土を守るというのはそういうことですね。
他の「水土を守る人々」も読んでみましょう。
すでに訪ねた場所もありますが、またやり残した宿題に気づきそうです。
良い記録に出会いました。
「記録のあれこれ」まとめはこちら。