記録のあれこれ まとめ(251~)

「記録のあれこれ1」を書いたばかりなのにまとめを作った「記録のあれこれ」ですが、10年ほどかけて250記事になりました。

 

根拠のない療法や価値観が助産師に広がるのはなぜかを考えていた頃に始めたブログですが、「症例報告」を基にしていないことに行き着くと思いぼちぼちと書き始めました。

同じ頃から散歩をするようになり、災害の記録であったり、事故の記録であったり、神社やあちこちに残る歴史の記録、農業や治水の記録など他分野の記録を読むようになりました。

そして気になったことを検索すると、「こんなニッチなことまで」と思うほどどの分野にも先人の記録が見つかることに驚いています。

 

正確な記録とは何かそして事実とは何かに逡巡しつつも、「正式な記録」だけではなく「当時の生活を垣間見るような記録」もまたそれぞれの時代の葛藤を知る上で大事だと思うことが増えました。

どうしても時の有力者による編集された記録だけが残りますからね。

 

そうした有力者によって書かれた歴史の記録だけ読んでいたら、おそらく「なぜ戦争が起こるのか」も見失っていただろうと思う最近ですね。

鶴見良行氏の「中央歴史主義史観への批判」が身につまされるようにわかる時代が来るとは。

 

ということで、気になった記録をこれからも記録していくようにしましょう。

 

そうそう、ちょうど250番目の記事も水害を忘れるくらい安全な時代になって、いつの間にか住宅に囲まれて見えなくなっていた水除堤の上に建っていた金比羅様でした。

2018年の西日本豪雨災害で周囲が泥の海になって再びその姿を現し、その拝殿に残る浸水の跡から水害の歴史が掘り起こされたのでした。

 

時には土に埋もれ人から忘れ去られる記録ですが、どこかでまたその記録が求められる時代が来るのだと思いました。

 

 

「記録のあれこれ(1~250)」のまとめはこちら

「記録のあれこれ(251~)」はこちらに続きます。

251. 「水土を守る人々」

252. 園家山の湧水と津波の教訓

253. 伊能忠敬も「記録は大事」と思っていた記録

254. 「佐賀家屋敷跡地 備忘之碑」

255. 昭和天皇の戦後巡幸、魚津漁港で漁民に声をかける

256. 「安政5年の大地震と鳶山崩れ」と常願寺川

257. 「デ・レイケの富山での視察」と高田雪太郎のメモ

258. 「久松侍従を旱害視察に派遣」