「行間を読む」まとめ (251~)

2013年にタイトルが思いついて書き始めた「行間を読む」ですが、少しずつ積み重なって250記事までになりました。

 

2012年にブログを書き始めた頃は出産の安全性接すれば接するほど知らないことだらけの新生児について考えていて、それに対して現実とは違う「こうすればうまくいく」という方法論が広がっていくのはなぜだろうと思っていました。

 

1年ほど書き続けているうちに、ふと「教科書に書いてあること、その行間を読めるようになってください」という学生時代に教わったことを思い返すようになりました。

平たく言えば「教科書通りにはいきませんよ」ということですね。

自分だけでなく人の経験、特に困難や失敗の経験を知り、不確実性や多様性に対応できる能力を養って初めて知識を「理解する」ことになるのかもしれません。

 

ブログを始めた頃は私自身が「10年やってわからなかった怖さを20年やって知るのがお産」だと、経験を積むことの大切さを実感していた頃でした。

 

「では30年ぐらいではどんな怖さを知ることになるのだろう」

それは単に「知識」で太刀打ちできるものでもなく、何年やっても経験したことのない状況におかれれば、初心者のレベルに分類されることを認めることではないかと。

年数とともにプライドが高くなりますからね。

そんなことを考えていたら、「葛藤こそが仕事」だと思うようになりました。

 

自分が知らないことを認め、失敗を認め、葛藤する。

「知識としては知っていても、手も足も出ないことがあると知ったかぶりをしない自重のための記事」として、気になったことを書き留めてみました。

「感情に左右されずに、事実を見ていく」そんな訓練のための記録です。

 

10年ほど「行間を読む」を考えているうちに、思わぬ効果が出てきました。

SNSの広がりで毎日膨大な声や情報が広がって右往左往させられる雰囲気ですが、実生活の葛藤の中から出てきたつじつまのあう意見と、「これが正解(あるいは「正義」)。理解できないのは専門知識がないから」という気持ちが行間に見える意見とをなんとなく区別できるようになりました。

なんとなくですけれどね。

 

さて、「行間を読む」をさらに10年続けると、次にはどんな行間が見えてくるでしょうか。

 

「行間を読む」(1〜250)のまとめはこちら

 

251からのまとめはこちらにまとめていくことにします。

251. 「古事記と環濠の里・稗田」

252. 「酒池肉林の時代」を繰り返す