記録のあれこれ 51 「次代に伝える経験と手法」

八沢地区干拓地について検索していたら、福島県農林水産部が作成した「東日本大震災発生 あの日から5年 うつくしまふくしま 農業農村復興・再生の記憶 〜次代に伝える経験と手法〜」(平成28年6月)という資料が公開されているのを見つけました。

 

津波直後の農地、排水機場、堤防、溜池、道路などの被害状況がわかる写真があり、一面浸水していた八沢地区干拓地の航空写真もありました。

そして続いてそれらの復旧・復興の状況が比較できる写真もあり、松川浦の堤防の比較写真もありました。

 

*「初動対応」*

 

いつ頃からか災害時のテレビの報道で文字スーパーが使われるようになり、刻々と災害の状況や復旧の情報を知ることができるようになりました。

被害の大きさや凄惨さに動揺していただけの頃に比べると、放送を見ながら「被害の全体像はどうなのか」「何がどれくらいで復旧するのか」「自分だったらどう行動するか」と今後の見通しを立てる訓練になっているように思います。

 

ただ、30年ほど前からの疑問、「誰が、どのようにこの被害状況の把握をしているのだろう」といつも気になっています。

難民救援の初動対応も「災害のフェーズ0」と似ているのですが、命がけで避難する人や状況を把握するためには同じく命がけで調査をしている人の存在があるはずですから。

 

冒頭の資料の「第3章 復旧・復興に向けた取り組み」に、「初動対応 1. 被害状況の把握」が書かれていました。

 東日本大震災では、地震津波により農地及び農業用施設が被害を受けた。通常、被災状況の調査については、市町村が行ったものを県農林事務所から、本町へ連絡し取りまとめるが、今回は地元の農家は避難し、市町村職員も避難者対応に追われるなど、被災状況が非常に難しかったため、県の職員が下記の対応をこなった。

(1)津波エリアは把握のため、津波の痕跡を図面に明示。

(2) 図面を一定の区域でブロック毎に分け、各ブロックの担当がローラー作戦で被災状況の写真及びポンチ絵を作成し、全区域を網羅する。

(3)津波により被災した施設(排水機場、排水桶門ゲート)については、施工業者及びメーカーに施設診断を依頼。

(4)通常事業で工事中の地区は被災した地区は状況を把握し、事故繰越及び出来形支払い等の対応。

(5)県事業で実施し譲与した施設は、県・市町村及び土地改良区が保管している資料を利用し、復旧図面として利用。

(6)春先の農業利水施設一斉点検や県と土地連で実施した施設診断の写真を利用し、被災前の資料に利用。

(7)設計したコンサルタントにデータや図面の提供を依頼

 

続いて「調査時の必要物品」「調査時の注意点」が書かれているのですが、あの余震や原発事故発生直後の混乱の中、丸腰で出かけているかのような限られた物品で地道な調査が行われていました。

 海水が溜まってしまった干拓地の調査、排水の対応などについても書かれています。

 

 

淡々と時系列でまとめられているのですが、その内容は圧倒される記録でした。

 

 

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