仕事とは何か 9 仕事の責任

私は本当に一度も声を荒げて注意された記憶がないほど、穏やかな父でした。

晩年、認知症になっても遠くから父を見舞いにきてくださる元部下の方々が何人もいらっしゃって、地位も権威も名誉にも関心がなさそうだけれどあまり親しい友人もいなさそうな父の別の一面を知ったのでした。

 

最後にお世話になった認知症の病院で、偶然、父が30代だった頃の部下だったという方にお会いしました。

「俺らヒラには本当に優しかった。借金をした部下に代わって店に謝りに行ったり、よくしてもらった」と家族も知らない話を伺いました。

「でも、幹部には厳しかったよ」と。

家では穏やかな父も、仕事の場ではやはり厳しい一面があったらしいです。

 

30代頃というのは、ある程度仕事ができるようになって自信に満ちて、他の人を教えなければという責任感も強くなる頃かもしれません。

あるいは仕事上の責任も大きくなって、自分にも余裕がなくなったために人に厳しくしやすいということもあったのかもしれません。

 

父もいろいろな仕事の葛藤を抱えていたのだろうなと、いまだったらもっと聞きたい話です。

 

*注意や忠告をする立場とされる立場*

 

学生時代の実習や新卒で入職したころは、これでもかというほど細かく注意をされながら仕事を覚えたのだと思いますが、不思議とあまり辛かった記憶はありません。

子どもの頃に注意をされたことが記憶に残らないのと似ているのかもしれません。

 

ひとつ鮮明に記憶に残っているのが、看護学生時代の夜勤実習のことでした。

今は学生の夜勤実習はないのかもしれませんが、1970年代から80年代の私の出身校では準夜勤・深夜勤それぞれ2回実習をしていました。

その時に、少し言い方が厳しいスタッフの方から記録の仕方で注意されて、思わずポロリと涙を流してしまったら、「泣くのならもう教えない」と言われたのでした。

 

ただでさえ緊張する実習で、しかも夜勤実習は学生一人で心細い上に、注意された内容は私にとっては「(そんなに言われるほどのことではないのに)」と不満もあったのでした。

その場面は今でも何度となく思い出すのですが、時間とともに受け止め方が変化しきています。

 

おそらく、私の「私はできているという自信」をあのスタッフは見抜いていたのだろうなと、そこに危なさを感じたのだろうと。そして、「細かいことに手を抜いてはいけない」あたりでしょうか。

今思い返すと、彼女もまだ20代半ばでしたから今の私から見たら一人前からようやく中堅ぐらいのレベルです。もう少し経験があれば、学生を泣かすような言い方ではなく注意もできたかもしれません。

 

あれから40年ほど経って、あの厳しい一言が私には必要だったのだろうと思えるようになっています。

ほんとうにちょっとの油断で、人の命に関わる仕事ですからね。

 

年齢がいくにつれてなかなか注意されることが少なくなる中で、いいにくいことを指摘してくれたり注意してくれる存在は大事だと思います。

そして、注意されたことが「自分の否定」ととらえないような自分自身の鍛え方が仕事には必要かもしれませんね。

 

20代の頃に比べて、今はいろいろな状況を判断してものすごく複雑に仕事をこなせるようになった反面、単純なミスもあって落ち込むこともあります。

そんな時は、「今までできていた自分が全部崩壊」していくような気分になりやすいのですが、「いやいや、もっと複雑な仕事のレベルに挑戦しているのだ。次回は気をつけよう」と気持ちを切り替えるようにしています。

 

 

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