「発達する」というテーマを作って自分自身の年齢相応の発達課題とか、ヒトの社会の発達について考えてみようと思ったものの、ふとその言葉の歴史がわかっていないことに、ちょっと冷や汗が出そうになりました。
40年ほど前、看護学を学び始めた時に、発達と発育の定義の違いを聞いたような記憶があります。
漠然とした理解のまま、この二つの言葉は違うと認識していたのですが、「発達」そのものも私が40年前に学んだ定義とはだいぶ変化したのではないかと思います。
当時、「発達と発育」という表現が出てくるのは、主に小児科看護でした。
最近の小児看護の教科書が手元にないので、コトバンクでその説明を読んでみました。
*発育とは*
ブリタニカ国際大百科事典の解説は、発育について発達と対比して書かれていました。
主として、組織、器官の細胞数の増加、形や量の増大などの形態に関する質的および量的成熟過程をいう。ほとんど成長と同じ意味で用いられる。また発達とも近い概念である。発育は主として身体面について、その形態の年齢的な変化を表すのに用いられることが多い。これに対して発達は機能と構造上の分化・複雑化を意味し、機能面に関する質的・量的過程をいう。本来、形態と機能の両者は相互に関連して進歩していくものである。したがって用語として発育発達と併記されることが少なくない。
これを読むと、40年前の定義とさほど変化はなさそうです。
ただ、「デジタル大辞泉」の解説で、「育って大きくなること。成育」と書かれていて、40年前には「成育」という言葉を聞いたことがなかったと思い返しています。
というのも、2002年に国立大蔵病院と国立小児病院が統合されて国立成育医療センターになった頃、小児医療の中で「成育」という言葉を初めて私は聞いたような記憶があるのです。
いつ頃、どのような議論から発育から成育へと変化したのでしょうか。
*発達するとは*
発育に対し、発達の方が複雑な解説でした。
デジタル大辞泉では「からだ・精神などが成長して、より完全な機能を持つようになること」「そのものの機能がより高度に発揮されるようになること」、また世界大百科辞典第2版でも「一般に生物、事物、事象が低い段階から高い完全なあ段階へと向かうことを言い、筋肉の発達、産業の発達などのように使われる」と書かれています。
このあたりは、40年前の小児看護で学んだニュアンスに近いものです。
ところが、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説は、異なりました。
生体が受胎してから死に至るまでの間に起こる心身の機能や形態の変化のうち、一時的、偶発的なものを除き、長期にわたる系統的、持続的、定方向的な変化を発達という、このように定義された発達は、増大や進歩などの上昇的過程だけでなく、普通は発達とは呼ばないような縮減や退行などの下降的変化を含むことに注意しなければならない。
このあたりの変化が看護学に取り入れられたのが、80年代にエリクソンの発達段階が紹介されたころなのかもしれません。
そして発達とは、新生児から小児、そして青年期に至る目覚ましい心身の正常な成長変化の段階だけでなく、人生のどの段階で障害を負っても常に発達しているという意味まで、この40年ほどの間に変化したのかもしれません。
そう考えると、ヒトとはどういう存在なのかを言葉で表現することも、この半世紀ほどで、驚異的な変化をしているようです。
発達とか発育という言葉が生まれたのはいつ頃で、どんなニュアンスで使われ始めたのでしょうか、気になります。
「発達する」まとめはこちら。