散歩をする 364 三島駅から下土狩駅まで歩く

品川駅を安全確認のため6分遅れで出発した新幹線ですが、熱海駅では5分遅れで到着し、乗り継ぎのためかホームを走っていく人が結構いました。

事故とはどのように起こるのかを日常生活であまり意識していないと、ほんのちょっとした自分の油断した行動や判断がどれだけ多くの影響を与えるのか、想像できないのかもしれないですね。

あの品川駅で駅員さんが何度も注意喚起している状況を思い出して、ちょっと仕事の気分になってしまいました。

 

熱海を出ると長いトンネルに入ります。

ふと明るくなると、あの狩野川の流れる私の好きな三島の風景です。

東海道新幹線は富士山が見えるE席が人気かもしれませんが、私は反対側のあの三島から伊豆にかけての開けた風景が好きでA席にすることが多いのですが、今回はE席にしました。

遠くに、朝日に輝きながら御殿場線の車両が見えました。

 

4分遅れで三島駅に到着です。2分短縮するための運転技術やリスクマネージメントとはどんな感じなのでしょう。

私も列車の音を時計がわりにして生活しているのですが、きっと、「今日はいつもの新幹線が通らない」と気にしている方もいらっしゃったことでしょう。

 

2年前に富士山からの湧水群を訪ねた時には南口でしたが、今回は北口です。東レの工場と学校、そしてそのはるか向こうに、運が良ければ富士山が見えます。今回は残念ながら曇りでした。

 

三島駅北口から歩く*

 

東レの工場の前の道をまっすぐ行くと、下土狩(しもとがり)駅まで1kmちょっとで、そのいちょう通りを目指しました。駅の北側は少しずつ高台になっているのですが、水田だったのだろうと思われる場所でした。

新幹線が近づいてくるたびに後ろを振り返り、新幹線三昧の散歩です。

 

車窓から見ていた東レの工場の前にくると、何か説明板がありました。

東レ(株)三島工場の「鎮守の森」

 この森は、地域環境との調和、および雨水の地下浸透化を目的として、横浜国立大学(当時)の宮脇教授のご指導を得て、昭和四十八年秋に三嶋大社、龍沢寺、箱根山に落ちているドングリを従業員が拾い、それを育てて出来た「鎮守の森」です。

 当時、拾ってきたドングリ(タブ、クスノキシラカシなど)を一晩水につけ、虫を追い出し、各職場の柔らかい土壌にまき、芽が出たらポット植えにし、約二十センチメートルに伸びた苗を従業員が汗を流しながら植えました。今では樹高十五メートル以上の見事な森に育っています。

 東レ(株)三島工場は、これからもこの大切な「鎮守の森」を守っています。

 

みごとな樹々が工場の敷地を囲っていますが、「道に歴史あり」と同様、街路樹や生垣にも歴史ありですね。

この三島の東レ工場は子どもの頃からなぜか記憶にあるのですが、それは緑に囲まれた工場のイメージだったので、ちょっとその記憶の曖昧さに愕然としました。

1973年(昭和48)、私が中学生になるかならないかの頃はまだ苗木で植林が始まったばかりということになりますからね。

 

一見、平地のような工場の敷地ですが、すぐ隣りは少し高台の畑になっていて、そばに用水を三方向に分けるための分水路がありました。

あちこちに用水路が張りめぐらされていて、水が流れています。水路と水路に挟まれた八幡宮を訪ねて見ました。

この神は灌漑や開拓をつかさどり、現代に至るまで連なる農耕技術生みの神でもある。

 

あちこちの用水路からの水音と、農耕技術の神様。

今は住宅地になっているのですが、半世紀前だと新幹線の車窓からは富士山を背にした美しい田園風景が見えていたのかもしれません。

 

また立派な用水路を越えると、小さな石碑がありました。

塞神について

 祭神 伊弉諾尊(いざなみのみこと)

 塞神(サエノカミ)は、村境などに祀られ、道祖神とも云い、集落の外からやってくる諸々のわざわい、邪霊の侵入、流行病などを防ぎ、行路の安全を守り、良縁、出産、夫婦和合の守護神でもある。

 勿来神(クナドノカミ)、幸神(サイノカミ)などとも云われる。子供は特に流行病には敏感であったので、疱瘡(ほうそう)などの守護神としても祀られた。

 古くは外からの諸災厄を一身に引き受けてくれる神であったことから、どんど焼きにこの塞神を焚き上げ、不浄の災厄を焼き払う行事も行われた。

 

疱瘡をはじめとした伝染病も災害も、祈るしかなかった時代の記録でした。

子どもの頃に種痘を受け、看護学生の頃には天然痘は感染症の歴史の一つになったのですから、また医療が驚異的に変化する時代を生きていたのだと、石碑と祀ってある石の前でしばし立ち止まりました。

 

下土狩駅までは歩道も歩きやすく、街灯には街の誰かが整備してくださっている花籠にパンジーが飾られていました。

ゆったりと落ち着いた街です。

 

最初の目的地に行くために選んだ20分ほどの道でしたが、新幹線であっという間に過ぎていた場所に、こんなたくさんの歴史を知る道があったのでした。

 

 

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