行間を読む 185 近くて遠い国の健康保険制度

いきなり健康保険証とマイナンバーカードの一体化を義務付けるのではなく、現在の健康保険証にICチップをつけて、段階的に全国で統一した保険証にしてそれから希望する人にはマイナンバーカードに紐付けできるようにするという流れの方が支持されやすかったのではないのかなと考えていたら、「迫るのではなく共に進める オードリー・タンさんが目指すデジタル化」(2021年9月20日朝日新聞)という記事にたどりつきました。

 

新型コロナが各国で流行し始めマスクが足りない事態に陥った時に、台湾ではどこでマスクを購入できるかなど国が情報を提供する方法をとっているというニュースがあり、たしかその時に初めてこの方のお名前を知りましたが、いつもの成功者の「物語」なのだろうくらいに思っていました。

 

台湾では、コロナ禍の前から行政のデジタル化が進んでいました。たとえば、外国人労働者を始め、ほとんどの人が持つ健康保険カードを使えば、人々は自分の過去の診察記録だけでなく、X線やCTの画像までネット上で確認できます。こうしたデジタル化が流行初期への人々へのマスク配給制などに生きました。

 行政がデジタル化を進める上では、個人情報の扱いについて、人々から信頼してもらうことが重要です。説明責任を果たすよう努め、情報を扱える人を法律で規制してきました。デジタル技術に強くない人や、ネットの高速通信を使える環境にない人たちがこぼれ落ちないようにする配慮も大事です。

(強調は引用者による)

 

すごい、まさに「迫るのではなく共に進める」という意味ですね。

 

 

*1995年に始まった「全民健康保険」ー「普遍性と平等性の確立」*

 

そういえばお隣の国なのに、台湾の健康保険制度について何も知らなかったと検索してみました。

 

「台湾における「全民健康保健」の成立と課題」(高橋隆氏)という論文が公開されていて、その中に台湾の健康保険の歴史が書かれていました。

 台湾では、皆保険制度である「全民健康保険(以下、全民健保と略)」実施(1995年)以前には、特定職域の被用者を中心に多数の医療保険があったが、民間労働者の家族は保健加入が認められず、加入率は94年で51.2%にとどまっていた。また医療保障という視点から見ると、軍人、公務員に対する公費による優遇医療が民間セクターよりも充実していた。

 

台湾も1990年代半ばだと、日本の1961年(昭和36)の国民皆保険制度開始以前の状況だったようです。

 

それぞれの国の事情と歴史がありますから、台湾が1995年に皆医療保険制度を開始するまでには社会が紛糾するようなさまざまな事態があったことが「2. 全民健保の成立過程ー普遍性と平等性の確率」に書かれていました。

 

 

その議論を重ねている時代に、こんなことがあったことが書かれています。

 台湾で皆医療保険構想が公式に浮上したのは、1973年の行政院内政部「第3期社会建設計画」においてである。この中では、「国民健康保険」という名称が使用されていた。一方、野党の民主進歩党が制定した党綱領(1986年11月10日第1時全国大会)では、「丙、公平開放的社会福利」の一節に「労働者、軍公教人員から全民まで社会保険を拡大する」とある。この時期の台湾は戒厳令下にあったが、1986年に国民党政権は野党の結成を容認し、野党の民主進歩党は同年末の選挙に公然と参加して民主化が開始された。

(強調は引用者による)

 

1980年代半ば、世界のあちこちで民主化のために闘いながらも手に入れられない国も多かった時代でした。

 

 

日本の国民皆保険制度は、アメリカの医療の理想へ向けた変革をGHQが日本で実行したという運の良さから始まっているといえそうですが、台湾が「普遍性と平等性」の発想はどこからきてどのように根付いていったのでしょう。

台湾の現代史、知らないまま来てしまいました。

 

 

そしてインターネットの世界が広がる少し前に台湾ではちょうど健康保険制度を一つにまとめたことが、医療のデジタル化を「迫るのではなく共に進める」ことができた理由の一つでしょうか。

 

デジタル化の進め方について我と彼の差がこんなにも広がっていたのは、ほんと近くて遠い国になってしまったのかもしれませんね。

 

 

 

 

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