政治家の皆さんの裏金づくりの捜査が次々とニュースに流れる年の瀬。
なんだか呆れ返る感覚の方々が国家を動かしてきたのかと思いますね、まあ時代は繰り返しますからね。
「裏金」ならまだしも、「キックバック」とか「還流」と言い換えるあたりも「イメージ戦略」ですね、きっと。収賄とか脱税とか、もう少しその罪の重さがわかる正確な表現で伝えてほしいですね。
そして過去の政治家の方々が急にテレビやニュースに出演し始めるのも世論調査という占いのようなものが喧しく使われるのも息を吹き返すために何かが動いているのではないかと慎重になりますし、ああやはり 失敗から再発防止を考える方法が浸透し始めた社会から政治の世界は置いていかれているのだとその手法が古臭く感じてしまいました。
そして未曾有の状況のあとの不安定な社会の雰囲気の時に、裸の王様が暴君に豹変するのだと感じるこの頃。
国民の側も不安定な社会の雰囲気に正しそうなことを強くいう人に頼りたくなる気持ちがそれを後押ししてしまう、とも言えるでしょうか。
一緒に失敗を認めずに、もろとも足を引っ張り合いながら沈んでいこうというのでしょうか。
*デジタルのイメージにつられない*
そのような中で、「国民にマイナンバーカードや電子帳簿を強制するなら、まずは国会議員がお金の流れをデジタル化して公開できるようにした方がよいのでは」という声が上がるのもやむを得ないけれど、後にこちらにその刃先が向いてくるからやめたほうがいいのではと感じていました。
しばらくしてから案の定、デジタル庁大臣が政治家の資金をデジタル化すると発言がありました。
一見、国民のそういう声に耳を傾けたようで、それを利用しそうです。
デジタル化で「表の資金の収支」は把握されるかもしれませんが裏金はさすがに把握しないでしょうし、「デジタル化は万能」のイメージですが人間の罪や失敗までは直してくれないですからね。
それにしてもなぜ議員さんは思いつきを政策として国民に強制できてしまうのでしょうか。
今までの政治資金規正法のように法律さえも自分たちの良いようにしてしまう、そこが問題なのに、「国会議員もマイナンバーカードや電子帳簿で資金の流れを把握できるようにしましたから国民もマイナンバーカードや財産の「デジタル化を義務化するのが当然」という流れになってしまう予感しかありません。
そしてそれに反対する人は何か後ろめたいのだというイメージとともに。
あな恐ろしや。
*デジタルとはなんだろう*
たしかにデジタル化の恩恵は本当にすごいものがあるのですが、何か失っているのではないかというあたりが生活上の実感としてあります。
それがなかなか言葉に表現できないうちに推し進められて、あとでこんなはずじゃあなかったということにならなければいいのですけれどね。
自分自身が「デジタル」を漠然としか知らないままなので、検索したら語源はラテン語の「digitus(デジトゥス、「指」の意)であるということがまず目から鱗で、「特に二進数で表現されたデータで構成されているもの」とか「指を使って行った〜」という意味の形容詞とか、その言葉の歴史を知ろうとすると気がとおくなりました。
それがなぜ、何か万能のようなイメージになっていったのでしょう。
そのあたりと現実のずれが、今の「デジタル化」を急いでいる社会に澱のように溜まっているようなそんな気がしてきました。
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