きっと1日でも足りないくらいの金原明善記念館の詳細な展示に圧倒され、訪ねてみて本当によかったと思いながら、9時52分安間バス停から天竜川左岸へと向かうバスに乗りました。
すぐに天竜川橋になり、広い天竜川を渡りました。水量が多く、見ているだけで足がすくみそうです。
しばらく左岸側の水田が多い平地を走ると、工場のあたりから少しずつ上りになってJR磐田駅前で下車しました。ここからもバスや天浜線に乗るための小銭が足りなくなりそうだったのでコンビニに寄っておにぎりを購入し、10時46分発の山東行きに乗りました。
*左岸の崖線沿いを走る*
まだなんとか午前中はお天気が持ちそうですが、少しずつ北の山の方へと向かうので雨になってしまうでしょうか。
バスはもう一人を乗せて走り始めました。母に似た女性で、あちこちを散歩するようになってから亡き両親に似た方を見かけることが多くなり、そこからさまざまな回想が始まります。
そしてこの地域でどんな人生を送られてきたのだろう、そんなことが重みを持って感じることが増えました。
ふと気づくと、バス通りの両側が下り坂になって尾根のような道を走っているようです。地図で確認すると、今ノ浦川と加茂川にはさまれた場所のようで、その少し下流で合流しているようです。
天竜川の河川敷に近いのでてっきり天竜川水系と思ったら、太田川水系でした。
その少し先に、見てみたい場所がありました。県道44号線と国道1号線が交差する近くに「水堀」という地名と「豊田原新田公園」があります。地図で見つけたときにきっと水田があるに違いないと予想していたのですが、バスは台地の上に向かい、起伏のある土地に畑が広がっていました。「水堀」、どんな水の歴史があるのか気になりますね。
また下ると、天竜川左岸の水田地帯が広がり、東側には高台が続いてその際(きわ)に水路が流れています。またバスは九十九折りの坂道を上って台地の上に行くと、広大なららぽーとや畑地、茶畑が広がっていました。ららぽーとの停留所に寄ったあと、またぐるぐると坂道を下ると、その高台沿いの低地の水田地帯になりました。
多摩川左岸の国分寺崖線にどこか似ています。ここもハケの上とハケの下の生活の違いがあるのでしょうか。
11時17分匂坂上バス停で下車しました。バスの中のアナウンスで、「さぎざか」と読むことを初めて知りました。
*寺谷用水沿いに歩く*
バス停のすぐそばに用水路があり、「寺谷用水土地改良区」と表示されていました。
地図でこの用水路沿いに「元圦」を見つけたのがいつだったか忘れたのですが、確か寺谷元圦でした。
ところがしばらくして地図を見直したときには忽然とその表示が消えていました。地図でさえ自分の意図とは別の力で変えられていく、それがネットに対する不信や不安でもありますね。
それでも、やはり大事な用水路のようで満足し、用水路ぞいに歩き始めました。
それほど離れていないところに天竜川の堤防が見え、用水路との間の水田地帯が寺谷地区のようです。
そして東側は暴れ天竜で削られた崖線でしょうか、高台が迫っていました。
天竜川左岸、想像していたよりももっと複雑な地形でした。
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