水のあれこれ 375 醍醐池から耳成山の古池へ

また4月の奈良の散歩の続きです。

田んぼと水路を眺めているだけで元気が出てきました。

 

せっかくなので、やはり耳成山まで歩くことにしましょう。今まで何度か近鉄線で通過した時に見えた耳成山の手前のため池が気になっていました。

そこまで1.5キロぐらいでしょうか、水路を眺めながら歩くことにしましょう。

 

*醍醐池と藤原宮海犬養門*

 

地図では藤原宮跡の北側に醍醐池が描かれています。ため池への送水門の近くに小さなお社が祀られています。大きな水面と周囲を囲む桜並木が美しい池です。

側面から眺めるように北へと歩くと、北側は一段低い水田地帯で、天堤の土手の緑に畦道の桜並木がこれまた美しい田んぼでした。

 

その先に木壁の古い住宅があり、水路が見えてきました。

傳藤原宮海犬養門(あめのいぬかいもん)跡

 藤原宮都の建設は壬申の乱の後、天武天皇の時代から計画推進されていたが、宮殿の完成をまって遷都が行われたのは、今から千三百年前の持統天皇八年(六九四)十二月のことである。当宮都は主として中国洛陽の都城のプランをかり、条里制を採った我国最初の都市で、大和三山の間に南面し、その中心の藤原宮は都の中央よりやや北にあり、内裡・儀式殿と諸官庁の中枢を置き、内外二重の濠と大垣に囲まれている。宮の四方には各三門があり、現在地はそのうち北面西辺の海犬養門に相当し、小川中の二大石はその礎石と考えられている。なお醍醐町は宮域地では最も土地が低く、周濠の水を集めた西北辺からは濠趾と木簡が出土している。

      平成七年二月   醍醐町

その古い住宅への水路と水田への水路と、二段の高さの水路が流れているのですが、これもまた周濠とか環濠の一つなのでしょうか。

 

耳成山とため池と住宅地*

 

その先に、円錐形の耳成山がスクッと立っています。

JRまほろば線の踏切と国道165号線をわたると、一角に水田が残っていました。一面緑なのですでに田植えが終わったのかと思って近づくと、田おこしが終わった後に草が生えていたようです。

 

そこから住宅地の間を歩き、近鉄線の踏切を渡ると目の間にため池と耳成山があります。

ため池は公園として整備されてましたが、由来などはわかりませんでした。

しばらくベンチに腰掛けて、水面を眺めました。

 

近鉄耳成駅へと歩き始めると、耳成山の東側は一戸建ての家が整然と並んでいます。家の雰囲気から1970年代頃の開発でしょうか。

小さな川を渡ると住宅地の雰囲気が変わり、昔からの一角と水田地帯が見えました。

 

*米川(よねかわ)と古池*

 

小さな川はその名も「米川」で、水田地帯を流れ、耳成山にそうように大きく流れを変えてまた北へと向かっています。

 

「米川」で検索すると、「令和元年 米川河川改修事業」という資料が公開されていました。

「概ね5年に1回程度の確率」で洪水が発生すること、1975年(昭和50)と2008年(平成20)の航空写真が掲載されていて、かつては水田地帯だったところがほとんど宅地に変わっている様子がわかります。ちなみに耳成山東側の住宅地は1975年には造成されていたようです。

水辺の小さな土地を得て、念願のマイホームを手に入れられるようになり始めた時代の先駆け的な地域でしょうか。

 

頼みの綱のWikipediaにも米川の説明がないので諦めかけたところ、「淀川」「琵琶湖」「琵琶湖疏水」そして「大和川」を上流から河口まで歩いた先人の記録に「米川」がありました。

脱帽ですね。

 

大和盆地を流れる、寺川の最大の支流。

桜井市高家の山中に発し北流、谷を出る桜井市橋本からは北西流し、橿原市醍醐町で北転、耳成山の東側を巻くように大きく西に曲がる。

 

橿原市に入り香具山の北を流れるあたりは、農地が多い。川相は草深いなかをゆく里川。よく砂を運ぶさまが見られる。

膳夫は「かしわで」と訓む。語の意は律令制の官職のひとつ、帝の膳部を司る役人を指す。

聖徳太子の妃・菩岐々美郎女(ほさきのみのいらつめ)は豪族・膳臣(かしわでのおみ)の養女で、膳氏の寺跡がこの地に残されている。

JRまほろば線香具山駅の南西が橿原市膳夫で、そこに膳夫橋がかかっているようです。

 

Macの地図には「古池」の名前がないのですが、このサイトで名前を知ることができました。

 米川下流部の風景は、耳成山と一体である。河畔からは、ずっと瑞々しい山頂が望まれる。耳成山大和三山のひとつで、いちばん北にある。円錐形の秀麗な山容は火山性のものとも、モナドノックともいう。

古来より親しまれた山で、三山妻争いの中大兄皇子の歌など、万葉歌も多数残されている。

  無耳の池し恨めし 吾妹子が来つつ潜かば水は涸れなむ (万葉集巻16-3788)

 歌に詠まれた池は何処か定かでないが、いま耳成山の南麓には灌漑用の溜池があり、端山の影を映している。

 

 

地形をありのままに表現し、かつその風景の情感も感じることができる文章にかなわないなあと思いながら、美しい耳成山のことを思い出しました。

 

 

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