散歩をする 520 巻向駅から三輪駅まで古墳と溜池を歩く

念願の耳成山の溜池を訪ねたあと近鉄耳成駅に着いた時にはすでに2万歩近く、初夏のような気候にも体が慣れていなかったこともあって疲れていましたが、まだ14時過ぎです。

せっかく奈良に来たのだから時間がもったいないと、もう1ヶ所欲張って歩くことにしました。

 

近鉄線桜井駅でJRまほろば線に乗り換えて、巻向駅で下車しました。

この駅名もすぐに読み方を忘れてしまうのですが「まきむく」駅で、纒向遺跡(まきむくいせき)という歴史が頭に入っていないからですね。

 

巻向駅の西側は500m四方ぐらいの場所に幾つも古墳があり、その中でも大きな周濠を持つ箸墓古墳はその水色の大きさと「箸中」というユニークな地名が地図の中でも目を惹きます。

2022年秋に古墳の周濠を訪ねながら三輪まで歩いた時の計画の段階から、このあたりも歩きたいと思っていたのですが、いつも無謀な計画のため「まだ次回に」となっていました。

 

 

箸墓古墳へ*

 

無人駅の巻向駅で、数人が降りました。地元の方以外に、古墳巡りと思われる姿の方もいます。

駅の西側の広大な空き地のような場所が「纒向遺跡」で、案内板がありました。

卑弥呼の里、国の始まりの地 ようこそ纒向遺跡

桜井市北部に位置する纒向遺跡は、東西約2km、南北1.5kmの範囲にひろがる古墳時代前期の大規模集落遺跡として知られています。古墳出現機期の大型前方後円墳が複数存在し、関東から九州にかけての広範な地域との交流を示す搬入土器が多く出土していることなどから3世期代の日本列島における中心的な集落が存在したと考えられています。またこうした遺跡の性格から、邪馬台国の有力な候補地ともなっています。

 

別の場所には、それぞれの古墳についての写真と説明が書かれた案内板もありました。

これを見ただけで、本当ならこんなに疲労困憊している時ではなく、ここだけでも1日くらいかけて歩いたほうがよい場所だったと反省とやり残しの課題を抱えたのでした。困りましたね。

 

でもずっと訪ねてみたかった箸墓古墳だけでもと思い、水路の水音と道端のスミレに癒されながら歩き始めました。日本古来から咲く「誠実」という花言葉を持つ、私の大好きな花ですからね。

 

南へと歩くと、田んぼの向こうに古墳の森が見えてきました。

さらに南側へとまわると大きな水面が見え、天堤は桜が植え得られて歩くことができるようになっていました。

なんとも大きく美しい周濠です。

 

天堤の途中に「大池改修記念」と彫られた古い石碑がありました。西側からは水路が出ているので、この周濠も農業用水として利用されているのだろうと思いながら歩いていると、石碑がありました。

国営総合農地防災事業

改修概要

堤体工 L=266m  H=4.1m

・洪水吐工 1箇所

・取水工 2箇所

完成 平成8年3月

 

天堤の先に古墳の森が接していて「大市墓 宮内庁」と記されて鳥居がありました。どうやら歩けるのはそこまでのようです。

周濠を歩くようになってから、宮内庁管理の場所が現代では農業にも利用されていることを知ったのですが、それはいつ頃からの社会のどのような変化によるものなのでしょう。

 

 

知らないことばかりだと思いながら堤防の遊歩道から降りると、南側の一段低い場所には田んぼが広がり一面ピンク色にレンゲが咲いていました。

4月の奈良の田んぼはレンゲが美しい季節のようです。

 

 

*箸中から三輪へ*

 

箸墓古墳の周濠の南には小さな川があり、その両岸に3つの溜池が地図に描かれています。

そこを目指しました。

ひとつ目は右岸側にある溜池で、水面に三輪山が映り周囲は八重桜が満開で予想以上に美しい溜池でした。池の名前が書かれていないか探したのですが、「消防の放水試験場になっています」とこのあたりに駐車しないようにという注意書きだけがありました。

 

小さな川の反対側には古い街並みが続いています。ここから右岸沿いにしばらく歩くと反対側に池が見えてきました。

細い橋を渡ると、東側の集落と溜池に沿って歩けるようです。

その溜池沿いの細い道が国道169号線にぶつかるところに小さな神社があり、そこから芝地区への集落の中へと入る道がありました。

 

真っ直ぐ東へと続く路地の先には三輪の山々が見え、灰色の瓦屋根と木壁の奈良らしい家々が残っています。

まるで御神体へと向かう道のようです。

こういう風景を見ると、自分が生きてきた時代は現(うつつ)か虚(きょ)か混乱する感覚にしばしば陥る奈良です。

 

角を曲がり、国道169号線の一本東側の古くからの街道を思わせる緩やかに蛇行した道を歩いていると、自転車で帰る元気な中学生の集団が追い越して行きました。

まるで半世紀前の私自身が通学しているような気分になりながら、疲労の限界に達し始めた時に目の前に黒っぽい大鳥居が見えました。三輪駅までもう少しです。

 

大神神社大鳥居 概要

 当大神神社は、我が国最古の神社にして、大和国一の宮〇〇であります。(*写真で撮った字が葉に隠れて読めませんでした)

 この大鳥居は、去る昭和五十九年十月十三日の天皇陛下御親拝を記念すると共に、御在位六十年を奉祝して計画されたもので、氏子崇敬者の皆様より寄進された多額の御浄財を以って見事に竣工しました。(以下略)

遠くからも見えて、そばで見上げると首が痛くなるような大鳥居は32メートルの高さだそうです。

 

古くからあったのかと思っていましたが、私が意気揚々と海外へと出かけ始めた頃に建てられたものでした。

1984年、どのようなこの地域の雰囲気があり、それまでとは風景が大きく変わったのでしょうか。

もしかすると、うわべだけの「先進国」への雰囲気には煽られない何かがあったのでしょうか。

 

三輪駅までもう少しと思ったのですが、大鳥居から参道は長く、駅に着いた時にはもう足は限界になりました。

 

飛鳥時代から長い長い時代を行きつ戻りつした散歩の二日目が終わりました。

 

 

 

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