散歩をする 573 いよいよ吉田用水へ

結城用水の流れる崖の中腹から一旦、県境を少し超えて栃木県側の田川を眺め、再び茨城県に戻って県道35号線の上り坂を歩くと、そこは台地の上といった涼しい風が吹いていました。

 

そこから北西へと通る県道146号線沿いに歩くと、吉田用水が流れているはずです。

地図では道路沿いに流れているようなのですぐにわかるかと思ったのですが、複雑な交差点に気を取られていたら見落としました。

少し引き返すと薮のような窪地があり、どうやらそれが吉田用水でした。「滔々と流れる人食い川」を想像していたらちょっと違います。

 

地図ではここからカクカクと直角に2つのお寺の横を流れながら、南へと流れを変えてJR水戸線結城駅の西側約300mのところでさらに南下していきます。

吉田用水のそばは歩けないので、一旦、畑と集落がある方へと入りました。途中、棕櫚のある大きなお屋敷のような農家があり、相模川の磯部頭首工を訪ねたときの雰囲気に似ているなと思いながら歩くと、用水路沿いに出ました。

ここからは左手のお寺の竹藪が続き、竹のカラカラという音を聴きながら水面を眺めて歩きました。

右手には畑があり、少し高台には住宅地が続いています。

 

2回ほど直角に曲がりながら歩いていると、目の前がひらけてショッピングモールの敷地になりました。

 

 

*西町緑道公園へ*

 

県道264号線の先からは暗渠になって、「都市計画緑地西町緑道」と標識がありました。

のんびりと吉田用水の上の緑道を歩いていると、白いコブシが満開の大きな木がある広場がありました。

ベンチがあったのでコブシと青空を眺めて休憩しましょう。

 

公園の隅に、石碑があります。

結城市立立町西町土地区画整理事業 竣工記念碑

 本事業は、北は県道結城小山線(旧五〇号線)、南は、市道八号線、西は、西町緑道公園(吉田用水路敷)とにはさまれた字立町、字西町の各一部を対象に、面積六.一ヘクタールの区域において施工された。

 地区のやや中央部に「市杵島神社」があり、弁天島こと今の立野弁天といわれた。著書によると弁天島は、鏡ヶ池のなかにあった。この池から南へ新福寺繁昌塚の東低地帯は、一大沼地帯であったと想像すると書かれている。従って、公園を見ると周辺の地名が湿辺となっている部分がある。よって、この部分を、蓮田等も残っていて排水も悪くあまり環境良好とは言えなかった。しかし、駅に近いという条件から地区内に進入しうるわずかな道路を利用して宅地化が進みつつあったため、区画整理の機運が急速に高まり関係者の度重なる会合の結果、昭和五十三年七月十七日、結城市で初めて土地区画整理組合が設立され、事業の第一歩を踏み出した。

 工事は、昭和五十五年に着工、昭和五十八年、換地処分完了し、昭和五十九年に竣工した。この間、幾多の困難も関係者の深い理解と協力によって、この大事業の完成をみると共に、組合施工土地区画整理事業の先駆者として、結城市土地区画整理事業の推進と発展に大きな役割を果たした。

 ここに、土地区画整理事業の完成に当り、本事業により生み出された当公園に竣工記念碑を建立して永く後世に伝えるものである。

昭和五十九年四月吉日

(強調は引用者による)

 

1980年代半ばまで、吉田用水周辺のこの地域は沼地で地形の悪さと闘っていたようです。

 

弁天様の池はすぐ近くなので訪ねることにしましょう。

公園のすぐそばのほとんど高低差のない場所に市杵島神社があり、美しい池がありました。

「立町(たつまち)の弁天さん」と呼ばれているようで、1591年(天正19年)に建てられたようです。

 

 

*川木谷緑道公園へ*

 

また吉田用水へと戻ると、国府町通りを越えるとまた開渠になってそばに美しい緑道が整備されていました。

 

あえて起伏を造ったかそれとも残したのでしょうか、地面が波打つような公園内に蛇行した道が通っていて、不思議と落ち着いた気持ちになる道です。

吉田用水の水は少ないのですが、ゆったりと流れていました。

ここもこぶしが満開です。春を感じながら、時々風の音が聞こえるくらいの静寂な道を独り占めして歩いていると、線路にぶつかって行き止まりになってしまいました。

 

 

長い吉田用水のほんの一区間でしたが、実際に歩くことができました。

だいぶ歩いたので、行き止まりから少し引き返して駅の方へ向かいホテルに入ろうか悩みましたが、せっかくなのでもう少し結城市内を歩いてみることにしました。

 

 

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