不動川がJR奈良線の上を流れる天井川だったことに驚きました。
天井川を知ったのはブラタモリの初期の頃だったと思うのですが、川よりも住宅地の方が低い場所があるなんて地面のこともほとんど知らないまま生きてきてしまったと印象に残った用語でした。
さらにその川の下を鉄道が交差しているとは。
*天井川である不動川*
不動川で検索すると、「京都府レッドデータブック2015」に天井川としての説明がありました。
土砂供給量の多い河川では、河床が上昇すると洪水流が堤防を越流する危険性が高くなり、天井川が形成される。これを防ぐために、堤外地の土砂浚渫と堤防のかさ上げがはかられる。このような過程が繰り返されると、堤外地の河床高度が周囲の低地(氾濫原)面よりも高くなり、天井川が形成される。一般に、扇状地が発達し、古くから開発の進んできた地域には、多くの天井川が分布している。そのような典型例としては、奈良盆地や京都盆地南部(山城盆地)をあげることができる。これらの地域ではまた、かどの森林伐採がもたらしが土砂供給量の増大と天井川の形成との関係も指摘されている。天井川化していた河川でも、ダム建設や砂防工事が進むと、土砂供給量が減って河床の洗掘、低下が起こる場合がある。
*「生活と密着した存在であるものやランドマークとして親しまれている地形」*
天井川周辺で生活するというのは大変そうに見える説明ですが、この「京都府レッドデータ」はどちらかというと貴重な地形などを保存するような内容のようです。
そして不動川の選定理由に「地域において生活と密着した存在であるものやランドマークとして親しまれている地形」とあります。
その意味が、続きのこの箇所に書かれていることでしょうか。
上述したように、山城盆地の木津川に流入する支流には、天井川化した河川が多い(池田、植村1980)。不動川も、鷲峰山山塊から山城盆地に流入すると天井川化し、北流する木津川の右岸から流入している。2.5万分の1地形図上には、鉄道や道路の上を、天井川化した不動川が高架で流下している様子が、明瞭に示されている。本川上流には明治初期デレーケらが設置した砂防堰堤の石積みが残っている点で貴重である。山城盆地で天井川が発達するもう一つの理由は、本流の木津川自体の河床上流が著しいため、支流河川はこれに排水するため人工的に河道を高めなければならなかった点も重要であろう。その後、木津川の河床は、高度成長期の砂利採取などで著しく低下したため、木津川本流と不動川など支流の合流点付近には、著しい落差が生じている。砂防工事の進展で、土石流や洪水に対する危険性は以前と比べて軽減しているが、地域住民に対しては河川の振る舞いを十分に理解し、日頃から、災害に対する注意、関心をもってもらえるような普及、防災活動も望まれる。
山の際の少し高い場所をJR奈良線が通っていて、車窓からは木津川の堤防が見えてその内側に水田地帯が広がっています。
山から流れ出てきた川の水が一気に広がりそうな氾濫原で、そこに水田地帯ができたのだろうということは想像がついたのですが、「天井川化した川が多い地域」だとは。
「河川の振る舞いを十分に理解」し、土砂流入という災害にも恵みにもなるものと共存しながら鉄道や道路を作り、生活を築いてきた。
そんな感じでしょうか。
*不動川の歴史*
Wikipediaの京都府の不動川に、いつ頃天井川になったのかが書かれていました。
奈良、京都の造営や、大寺院の建設の為に多くの木を伐採したことに加え、花崗岩などの地質の関係から、周囲の山々が長らくはげ山となっていた。
1684年(貞享元年)には、「北山川」という名前で呼ばれていた。木津川市指定文化財である『平尾絵図』によると、不動側(原文のまま)の河床が、田畑より高さが十間(18メートル)高かったとされる。このように、十七世紀後半から土砂留工事や山の補修が行われたが、それでも木津川やその支流に土砂が流入し河床は上昇し続けた。その結果として不動川は天井川となった。元禄時代(約300年前)の絵面図と寛政時代(約160年前)の古文書によると不動川の天井化は約150年前後の間に進んでいると考えられる。不動川の天井川化は江戸時代初期から顕著に現れた。
(強調は引用者による)
「奈良や京都の造営」により過酷な砂防工事や緑化が現在も終わっていないことを、淀川水系にある田上山(たなかみやま)の歴史で知りました。
不動川もまた、江戸時代に入ってからの砂防工事が行われながらも天井川化が進んでいたようです。
*JR奈良線と天井川*
どうやってその天井川の下に鉄道を通そうとしたのだろう、いつ頃だったのだろう。
そういえばJR奈良線の歴史をまだ確認したことがありませんでした。
1879年(明治12)には「京都駅ー稲荷駅ー大谷駅間」が開通したというのですから、ほんと、驚異的に変化する時代ですね。
延伸を重ねて「玉水(たまみず)駅ー木津駅間」が1896年(明治29)で、棚倉駅は3月31日に開業したそうですから、129年もの鉄道の歴史がある場所だったようです。
その「沿線概況」にこう記されていました。
長池以南は丘陵部から木津川の河谷にできた低地を横断して木津川に流れ込むため天井川が多く、奈良線でも6つの天井川と交差する。このうち、山城青谷駅ー山城多賀駅間の青谷川と、玉水駅ー棚倉間の不動川は短い単線トンネルをくぐって交差しており、形状は通常の山岳トンネルと同様である。
(強調は引用者による)
なんと、「6つの天井川と交差する」とは。
これはいつかぜひ歩いてみたいものです。
*「不動川トンネルが土砂で埋まる」*
Wikipediaの「不動川」の最後に、こんな記録がありました。
1953年(昭和28年)8月14日、豪雨により不動川の5か所が決壊、周辺地域に大きな影響を及ぼした。また、不動川周辺のみならず、『南山城水害』として、今も語り継がれている。不動川の決壊により不動川の河床の下を通る不動川トンネルが土砂で埋まり、国鉄奈良線が不通となった。
大きな河川のそばに鉄道を通すというのは、ただ洪水対策だけでなく、小さな河川であっても砂防工事との戦いといえるのでしょうか。
それにしても、天井川の下にトンネルを掘る発想や技術の歴史、知らないことばかりでした。
「水のあれこれ」まとめはこちら。