落ち着いた街 97 藤森環濠集落から池尻環濠集落へ

水路の橋を渡り1本目の道を藤森地区へと入ると、堀が見えてきました。ちょうど集落の南東の角です。

 

*藤森環濠集落*

 

「堀は、みんなで美しくゴミを捨てないで下さい。藤の森区」

地図では「藤森」と表示されていたのですが、どうやら「ふじのもり」のようです。

堀の内側には、灰色の瓦屋根の家々が多く残っていました。

 

堀に沿って西へと歩くと暗渠になり、その先にまた堀とこんもりとした十二社神社の森が見えてきました。

周囲の田んぼと堀と、そこだけ時が止まっているかのような風景です。

 

蛇行した堀沿いの道を北へと進むと、案内板がありました。

「歴史といこいの水辺空間」藤森環濠

藤森環濠は、集落の周囲に濠を巡らせて、水を湛え、水利と防衛のため中世に形成されたと考えられています。藤森の人々にとって農業用ため池、水路であり、防火用水および用水路の貯蓄など、さまざまな機能を併せ持つ生活に密着した水辺空間として受け継がれてきました。

十二社神社は室町時代中頃に建立されたようですが、そばの観音堂には平安時代後期(12世紀)に制作されたらしい木造十一面観音立像と木造二天王立像が安置されていることが書かれていました。

 

物音ひとつない鎮守の森に立つと、いつの時代にいるのか混乱するような錯覚に陥りました。

 

堀のそばにもうひとつ小さな説明書きがありました。

藤森環濠集落(ふじのもりかんごうしゅうらく)

 大和平野中心部には、堀(濠)に囲まれた、いわゆる環濠集落が多い、濠(ごう)には水を湛え、水利と防衛のために造られたと考えられる。

 大和高田市にも、有井、池尻、松塚、土庫(どんご)、岡崎、磯野などに環濠が残っているが、中でも、この藤森の環濠はよくその姿をとどめている。

 しかし、何れの環濠も、水利の変遷、住宅開発などにより、姿を消しつつある。

            文化財を大切にしましょう   大和高田市教育委員会

 

あの松塚駅前のお寺の堀も環濠だったようです。

 

計画では、このあと北へ300mほどのところにある大きな南郷環濠集落を訪ねた後、山沿いの古墳や溜池を歩くつもりでした。

ところが雨はまだ降っていないのに、雷鳴が近くで聞こえてきました。積乱雲も大阪方面に真っ黒に広がっています。

 

大木の陰はかえって危ないし、かといって水田地帯と住宅地では身を寄せる場所もありません。これは大幅に計画を変更して、大和高田駅へ向かいましょう。そこなら商業施設のビルに避難できそうです。

 

その途中の池尻天神社のあたりも、この説明板によれば環濠集落のようです。

 

 

 

*池尻環濠集落へ*

 

県道105号線へ向かって南へと歩いていると、小さな地蔵堂があり、私と同世代くらいの男性が掃除をしていました。終わると、花と掃除道具を持って自転車に乗って去っていきました。次の場所へと向かうのでしょうか。

こうして全国津々浦々で神社や道端の地蔵堂が手入れされているのを見ると、「なんだか、かなわないなあ」としんみりするようになりました。

私も残された人生の時間をこういうことに使いたい、人の為というより人知れず「地面のため」にできる何かを。

そういう想いが強くなってくるのですが、果たしてその道は与えられるでしょうか。

 

田んぼのそばにコンクリート製の水槽と水門があります。見渡してみると、点々と同じタンクがあります。

コンクリートで護岸された畦には、また小さなピンク色の塊がところどころありました。いつ頃、奈良盆地に広がったのでしょう。管理が大変そうですね。

 

遠目にも美しい鎮守の森と堀が見えてきました。周囲が遊歩道になっています。

先ほどの藤森区に比べると、中の住宅は少しだけ高いところにあるので微高地のようです。

 

案内板がありました。

「歴史といこいの水辺空間」池尻環濠

概要

▪️池尻環濠

 延長:全長L=642m (改修済区間L=180m)

 水路構造:土水路(改修済区間、コンクリートライニング水路)

 通水量:Q=1000~1100m3/day(吉野川分水より)

 受益面積:A=7.4ha

 水源:吉野川分水、尾張

 かんがい期間:6/5~9/21

遠出を始めた数年前だったら、目がすべって内容が頭に入らなかったと思いますが、土木建築や水利施設の説明を読むようになった今ではありがたい情報です。

継続は力なり、ですね。

そしてあのコンクリート製のタンクは、吉野川分水をつないでいるのだとわかりました。

 

経緯

大和平野の中心部には中世時代大和武士等による水利と防衛のために濠(堀)をめぐらし竹を植えた環濠集落が多く存在していた。

池尻集落でも、防火・かんがいため池、古くは防衛用として環濠がめぐらされており、現存する市内の環濠の中でもその姿をよく残している。

対象区域及び周辺地域の土地改良施設の位置

池尻環濠集落は、大和高田市街から北東部に車で約5分の位置にあり、広陵町との境界にある。

西側に県道大和高田・斑鳩線、尾張川が通り、東側には県道大和高田・御所線が南北に通っている。

吉野川分水高田支線より東西両池に入り環濠・水路を通して農業用水の安定供給が行われている。

 

南へ少し歩いたところに西池と東池というため池があり、その間を歩こうと思っていたところです。「吉野分水高田支線」だとわかりました。

さらに詳しい説明が書かれています。

農業水利施設の保全管理又は整備上の措置

現在も濠を使い、吉野分水からの農業用水を周囲の農地に流している。

この区間の北側の濠は現在、市の単独排水路整備事業により改修され、コンクリートライニング水路となっている。

他の3方は土水路のままで、汚泥が堆積し、雑草が生い茂り、水流がないため腐食性の水質状態となっている。このため濠の護岸改修とともに水質浄化に資する対策を図り、農業水利施設としての保全と、生活環境の改善を図っていく必要がある。

水利慣行等地域の慣習

通常は、環濠に流れ込む雨水や家庭排水は集落の北側に位置するゲート2ヶ所により水路を通して尾張川へ排水されている。

かんがい期にはゲートを降ろすことにより環濠内の水位を上昇させ北東端部にある取水口から農地に通水している。

このことにより受益地への安定的な用水供給が行われるようになった。

実施中の土地改良事業等の状況

濠の改良及び用排水整備工事

吉野川分水の整備により、その末端施設整備として池尻地区における水路整備が行われている。

池尻環濠においても北側区間の農業用水路区間が護岸改修されており、西側、南側の宅地間を通る狭小区間についても水路の機能保持のため、随時、改修整備が行われる予定である。

 

すごい、用水の管理や水の歳時記までわかるなんて。

設置者は「池尻水利組合」となっていました。

同じ「歴史といこいの水辺空間」の説明でも、教育委員会と水利組合だと切り口が違ってまた興味深いですね。

 

何れにしても、ほんと、奈良は生活の場が歴史博物館や民俗資料館そのもので、勉強になります。

いえ、奈良だけでなく全国各地に生活の記録が積み重さなり無数の資料館や案内板がありその地域の歴史を知ることができる、あるいは寺社の由緒には失敗の記録まで残されている

なんと「豊かで強い国」でしょうか。

 

雷を避けるために行き当たりばったりで道を変えたのに、環濠集落の過去から現代へ、すごい案内板に出会いました。

 

 

「落ち着いた街」まとめはこちら

周濠のまとめはこちら