水のあれこれ 438 上牧町を流れる滝川とため池と

葛城台(かつらぎだい)西側の奈良らしい集落と稲荷神社と「上牧水利組合」のため池、そして美しい川沿いの遊歩道と田んぼとバスの中でメモしていたことで、5ヶ月ほど前の記憶が鮮明になりました。

記録は大事ですね。

 

そして何気ない「上り坂」「下り坂」の一言をメモするだけで、あとでその地形が思い出せます。

 

地図を見直すと、滝川をはさんで上牧地区と葛城台地区がありました。

その数百メートルほど南から、小さな滝川が始まって北へと流れ、途中で葛下川と合流し、王寺駅の南側を大きく蛇行しながら流れて大和川へ合流しています。

その葛下川は、と地図を見ると中流五位堂駅の北側を丘陵地帯を西側へと迂回して流れているようなので、五位堂駅北側から上牧のあたりは水を得るのが大変だったのだろうと想像がつきます。

この地域の溜池の歴史、もう少し知りたくなりました。

 

*滝川、「相当暴れる川らしい」*

 

さて、この滝川を検索したところ、唯一見つけたのが「AGUA」の説明でした。

 

滝川

大和川2次支流 流入先〜葛下川大和川 

 奈良県北葛城郡を流れる、葛下川の最大支流。源流は香芝市広陵町上牧町の広範囲にわたる馬見丘陵の形を一変させた真美ヶ丘住宅地の大規模開発によって不明瞭となっているが、香芝市五ヶ所北端で暗渠化しているのが現在判明している源頭である。ここから、広陵町馬見北の西端をかすめ北上、上牧町に入り、上牧・滝川台・下牧を貫流北葛城郡王寺町畠田一丁目で葛下川右岸に注ぐ。

一級河川の起点は北葛城郡上牧町上牧の大谷・重坂。

葛下川支流中最も川幅・流程の大きい川で、一説に王寺大水害は真美丘陵の乱開発が原因と囁かれるのも頷ける。

 

・源頭

 地表流は北葛城郡広陵町馬見北九丁目の児童公園の脇から始まる。ここから上は暗渠で、公園の南側を回り込んで元は丘陵地だった宅地の間へ入り川筋は不明となる。

無論のことはじめから三面張りで、この後は丘陵の際を北上してゆく。

 

・中〜下流

 上牧町葛城台を過ぎるあたりから川幅を広げてゆく。相当暴れる川らしく、大した雨も降っていないのに河床いっぱいに生い茂っていた草がぺしゃんこに薙ぎ倒されていた。

川相は上から下まで一貫して三面張りだが、最下流部に河床の一枚岩を噛む荒瀬が残されていて、そこだけ切り取って見るといっぱしの渓流のようである。しかしながらこの瀬のある14号田原本王寺線香滝橋下には「風船堰」と称するバルーンダムが設けられていて、川岸に立つ看板によると6月から9月はゴム堰に空気が入れられ水を湛える。

「王寺大水害」というのは、あの王寺駅前に浸水被害の記録が残っていた1982年(昭和57)の奈良の戦後最大洪水でしょうか。

 

それにしても車窓から見えた川をこんなに重層的に知ることができるなんて、ほんとうにすごい先人の記録ですね。

 

 

*時代の変化を乗り越えながら葛藤は続く*

 

「上牧水利組合」を検索していたら、令和4年2月の「かんまき議会だより」を見つけました。

「上牧」は「かんまき」と読むのですね。

 

あの遊歩道とそばの田んぼが美しいとメモしたことに関わる問題が偶然、掲載されていました。

 

議会の一般質問の中で、「滝川の遊歩道は歩行者の安全を最優先に」というものでした。ほんと、どの地域でも自転車を避けながら歩くのは大変ですし、自転車もまた走る場所が少ない葛藤ですね。

その同じページに「上牧町のため池は問題が一杯」と水利組合・住宅地内の管理方法についてでした。

 

川や水利施設と住宅地とは、人類の歴史の中でも稀に見る驚異的な変化の半世紀だったので、まだまだ葛藤は続きますね。

 

上牧町の歴史*

 

名前の通り激しい流れだったであろう滝川ですが、この辺りはどんな歴史があったのでしょう。

Wikipedia「歴史」を読んでみました。

古代、大和国葛下の地。「上牧」の名の由来は、当町が緩やかな丘陵地帯で放牧に適した土地であったことからその名がついたとされている。

 

ふとを思いついたのですが、この辺りにも牛が放牧されていた時代があったのでしょうか。

各地の酪農の歴史もまた興味深いですね。

 

 

やり残した宿題がどんどんと溜まっていきそうです。

 

 

 

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