行間を読む 250 「斑鳩」

西の里から法隆寺へと入りました。

数人ぐらいのグループで何組か散策していましたが、遠くにいるのに玉砂利を歩く音が響くほど、広大な境内は静寂そのものです。

 

雷雲も雨雲もまるで私を避けてくれるかのようにお天気がもったのですが、法隆寺に到着するとポツポツと降り始めました。

境内の隅にある、大きな屋根付きの休憩所の縁台に腰掛けて、美しいお寺や五重塔をしばらくながめました。

 

十何世紀も同じようにこの法隆寺とその裏の山そして空を、どれだけの人がながめ何を思っててきたのでしょう。

言葉にはならないですね。

 

 

斑鳩の名前の由来は?*

 

 

数年前まで法隆寺がどのあたりにあるのかさえ正確に思い出せなかったというのに、「斑鳩」だけは読めるし書くこともでき、「斑鳩の里」とともに法隆寺がある地域だと知っています。

いつ頃、これを覚えたのでしょう。

小学校の歴史の授業でしょうか、それとも中学生で修学旅行の時でしょうか。

 

ところで「斑鳩」とはどんな意味なのだろうと、今まで調べてもいなかったことに気づきました。

 

斑鳩町のホームページに「斑鳩町の概要」があります。

 斑鳩町ってどんなまち!

斑鳩町奈良盆地の西北部から矢田丘陵の南端に位置し、南には大和川、東には富雄川、西には竜田川が流れ、水と緑の豊かな自然がまちの風景に溶け込んでいます。

 

斑鳩町の歴史は古く、聖徳太子が飛鳥から斑鳩宮に移ってきたことで斑鳩の地は一躍脚光を浴びました。中世以降、斑鳩は太子信仰の中心地となり、集落の成立に大きな影響を与えました。近世に入り、法隆寺の門前や龍田村明治25年から龍田町)は、市や宿場町として栄え、その後、明治の廃藩置県を経て、昭和22年2月11日、龍田町、法隆寺村、富郷村が合併して現在の斑鳩町が誕生しました。

 

斑鳩町は、世界文化遺産法隆寺をはじめとする寺社や文化財藤ノ木古墳などの豊な歴史文化と自然に恵まれているうえに、JR法隆寺駅からは大阪へは約40分、奈良へは約12分と近く、また国道25号が町の中心部を東西に走っており、電車や車での移動は大変便利な町でもあります。

 

奈良を何度か行き来するようになって、「大和川」「富雄川」「竜田川」の流れはだいぶ頭に入りましたが、山裾に溜池が作られているのは矢田丘陵というのですね。なかなか山の名前を知るのは難しいものです。

 

「概要」の続きに、知りたかったことが書かれていました。

 斑鳩の名の由来は・・・

斑鳩(いかるが)」という名の由来は、一説によると、この地に斑鳩という鳥が群をなしていたためだと言われています。

この鳥はイカルという鳥で、感じて斑鳩・鵤とも書きます。

 

また、聖徳太子法隆寺を建てる土地を探しておられると、「いかる」の群が集まって空に舞い上がり、ここが仏法興隆の地であるとおしえたと伝えられています。

 

なお、伊香留我伊香志男命(いかるがいかしおのみこと)がこの地の神として祀られていたからという説もあります。

 

「斑(まだら)」と「鳩」なので鳥に関係しているのだろうかと想像はついたのですが、その概要に掲載されている「いかる」の写真を見ると、文鳥のような姿でした。

鳥の観察や分類の知識も能力もない私には、とても見分けがつかなさそうです。

 

 

斑鳩の里をあとにする*

 

散歩の2日目はこのあと法隆寺から郡山のあたりまで溜池をつなぎながら歩くという無謀な計画でしたが、歩き疲れましたし雨も降りそうなので、1日目と同じく挫折しました。

まあ、延泊決定で時間はできましたからね。

 

法隆寺からJR大和路線法隆寺駅までは、バスに乗ることにしました。

バス停までの長い参道には観光客むけのお店がそれなりに建っていますが、平日は休みのところが多いようです。

大きな駐車場はあるので、休日やシーズンは大勢の人が歩いているのでしょうか。

 

小学生も習う有名な法隆寺だというのに、こんな静かな時間があるのですね。

これこそ「斑鳩の里」と思い浮かべる場所ではないかと思えてきました。

 

「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである」と、イエスが神殿の前から激しい怒りとともに商人を追い出した話を思い出しました。

祈りのために遠くから集まった人を休ませ食事を出すといった仕事と、祈りの家を利用して商売することの違い、そんな感じでしょうか。

 

奈良は奈良のままであってほしい、斑鳩の里が斑鳩の里のままであってほしい。

そこに住む人のためにも、そして訪ねる人のためにも。

そんなことを思いながら、斑鳩の里をあとにしました。

 

 

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