「助産師と自然療法そして『お手当て』」はまだまだ続きますが、一旦、代替療法とは何かということを考えてみようと思います。
これまでのエントリーを読まれた方には、代替療法、自然療法あるいは民間療法と聞くだけで、「うさんくさいもの」と私に刷り込まれてしまった方もいらっしゃるかもしれません。
ところが医療従事者の中にも、「補完・代替療法」として現代医学が対応しきれていない分野を補完する療法という位置づけで積極的に取り入れようとする人たちもいます。
実は私自身も、以前はそれほど代替療法に対して批判的でもありませんでした。
助産師の中で整体の考えに基づく研究会や、アロマセラピーが話題になっているときも、効果はよくわからないけれどやりたい人はやればよいぐらいに遠巻きに見ていました。
あの、ホメオパシーの問題を知る前までは。
kikulogの代替療法に関する議論や代替療法の問題を取り上げていたすぐれたブログの中で、「効果が認められれば、それは通常医療になる」という表現をしばしば目にして、それはもっともだと納得したのでした。
(2014年7月10日。現在kikulogの編集が変更になって、コメント欄が読めないようです)
そのすっきりとした納得感は、「お産は終わってみないと正常かどうかわからない」という当たり前のことを表現した言葉を聞いた時にも感じました。
それまでの「正常なお産は助産師だけで介助できる」ということは信条にすぎないことに気づかされた時と同じような、なにか呪縛から解放された気分でした。
横道にそれましたが、ちょうどその頃出版された「代替医療のトリック」(サイモン・シン&エツァート・エルンスト、青木薫訳、新潮社、2010年)を読んで、私は代替療法と科学的根拠に基づく医療についてだいぶ頭の中を整理することができました。
本書では代替療法の定義として、「主流派の医師の大半が受け入れていない治療法」というものを採択した。つまり代替医療の基礎となるメカニズムは、現代医学の知識ではとらえられないものだ。科学の観点からすると、「代替療法は生物学的に効果があるとは考えにくい」ということになる。
今回は、「代替医療のトリック」を参考にしながら、代替療法について少し考えてみようと思います。
<「主流派の医師が受け入れる」ということ>
サイモン・シン氏の「主流派の医師が受け入れる」という表現は、「科学的な手法」を経て多くの医師が認めるプロセスを説明するために使っています。
例として、多くの海軍の兵士が亡くなる壊血病にビタミンCが効果があることが認められるまでの、17世紀から18世紀にかけての治療法が以下のように書かれています。
「瀉血は定石とされていたし、水銀剤、塩水、酢、硫酸、塩酸、モーゼル・ワインなどを使う方法が試みられた。そのほかにも、患者を首まで砂に埋めるという治療法があったが、太平洋のまんなかでは、その手も使えなかった。一番ひねった治療法は、重労働を課すというものだろう。なぜなら医師たちの見るところ、壊血病はなまけ者がかかる病気だったからだ。もちろん、医師たちは原因と結果を取り違えていたー水夫をなまけ者にしたのは壊血病であって、なまけ者だから壊血病にかかりやすいわけではなかったのだから。
このような時代に、リンドが兵士を「レモンを食べさせたグループ」「酢を与えたグループ」など条件を変えた臨床試験の中でレモンが壊血病に効果がある可能性を見出した貴重な結果は、その時代の「主流の治療方法」の中にしばらく埋もれてしまったのでした。
それから二十数年たって別の研究者による臨床試験ー対象比較試験によって「レモン果汁を支給すれば水兵の命を救うことができる」という結論がでたのでした。
この臨床試験についてサイモン・シン氏は以下のように書いています。
今日の医学研究ではこれを《ランダム化比較試験》または《ランダム化臨床試験》と呼び、治療法を試すもっとも信頼できる方法とされている。
これをもっとわかりやすく説明すれば、「それをした場合」と「しなかった場合」について比較するという感じでしょうか。
こうして信頼できる方法で実証された治療方法であれば、たとえ昨日まで主流であった方法にもとって替わられていきます。
それが「科学的根拠に基づく医療」を単純に表現すればそんな感じかと思います。
<主流派の医師が「認めていない」治療法とは?>
ホメオパシーのように科学的にありえない理論は別として、医師が「認めない」治療法というのは「それは間違っているから使わない」というニュアンスではなく、「まだ検証されていないから認められない」という意味であるということです。
そして効果が認められれば、代替療法でも通常医療として認められるわけです。
この「科学的根拠にもとづく医療」について、サイモン・シン氏の説明を引用します。
臨床試験は、患者にとって最善の治療法を判定する重要な要素なので、《科学的根拠に基づく医療》として知られる運動のなかでも、とくに大きな役割を果たしている。《科学的根拠に基づく医療》の中核となる考え方の重要性は、十八世紀にはジェイムズ・リンドによって理解されていたが、この運動が本当の意味で確立されたのは、二十世紀も半ばのことである。《科学的根拠にもとづく医療》という言葉自体がうまれたのはようやく1992年のことで、カナダ、オンタリオ州マクマスター大学のデーヴィット・サケットの提案による。
サケットはこれを次のように提案した。
「科学的根拠にもとづく医療とは、一人ひとりの患者の治療方針を決めるにあたり、現時点におけるもっともすぐれた科学的根拠を、細心の注意を払いつつ、はっきりと明示的に、分別をもって利用することである。
<わからないことはわからないと認める態度>
「科学的な」というと、何でもメカニズムや効果が検証されているようなイメージを持ちやすいのではないかと思います。
20年ほど前に、初めて「科学的根拠に基づく医療(あるいは看護)」という言葉が臨床で使われた頃に、とても身構えた気持ちになったことを覚えています。
「その看護技術には根拠があるのか」と。
それまでは経験やその病院の慣習で決められていた方法に待ったがかかったのですから、現場は騒然とした感じでした。
あわてて「根拠」をつくりだしたりしていました。
今なら、逆にそういう態度が「科学的根拠に基づく医療(看護)」とは正反対だとわかるのですが。
そう、「まだ検証されていない」「ここまで検証されている」ということを明確にするプロセスなのです、科学的根拠に基づくというのは。
平たい言葉で言えば、「わからないことはわからない」と認めることですね。
代替療法に対する批判というのは、時には本当に馬鹿らしい内容に対する批判もありますが、そのわかっていないことを検証もせずにわかっているかのように理屈を作って広げることであり、あるいはすでにわかったことや医学的に決着のついていることさえ認めない姿勢に対してというところだと思います。
もう少し代替療法について考えたことを続けます。
「代替療法とはなにか」の記事はこちら。
2. 代替療法は「全人的」なのか?
3. 歴史からみた医学・看護学
4. 病院+看護=近代医学
5. 日本の代替療法の変遷
6. 柔道整復術と医療類似行為
7. ガイドラインに代替療法について書かれるようになった