目から鱗 5 <予断を持たないで見守ること=観察すること>

最近、刑事物のドラマにはまっています。
なんといっても再放送を何度も録画してみる「相棒」ですが、「科捜研の女」もおもしろいと思います。
前者はどちらかというと推察のおもしろさですが、後者は事実をどうとらえるかという点で考えさせられることがあります。


どの回か忘れましたが、「捜査に予断をもって臨んではいけない」という台詞がありました。


「予断」、goo辞書では「前もって判断すること、予測」とあります。
あまり日常生活では使う言葉ではなかったのですが、助産師の中で代替療法がなぜ広がるか考えて来た時期でしたので、これも「目から鱗」の言葉でした。


「こうしたらこうなった」という個人的体験を、「こうすればこういう効果がある」と仮説の検証という段階を飛ばしてしまいがちです。


いちどそう信じ込むと、観察の目も曇ります。
たとえば「飲み方がわるいのは舌小帯のせい」「乳房トラブルが出るのは舌小帯のせい」と全てがひとつの原因であるように思い込んで、舌小帯切除を勧めてしまうこともその一つです。


新生児の中には、舌先がハート型になるほど舌小帯で舌が引っ張られている赤ちゃんもいますが、特に問題なく授乳ができている事実も見えなくなってしまいます。


「観察」のためには、ありのままの事実をありのまま表現する。


ドラマの中では、「犯人はこうしたはず」などの予断が入ると思わぬ冤罪を生み出すという文脈だったと思います。


そして毛髪や花粉といった手がかりかりから犯人にたどり着く科学的捜査の手法は興味深いです。
まあドラマですけれどね。


新生児から乳児期の栄養方法についても、あまり「母乳かミルクか」の予断に囚われると、大事な成長・発達という目的を見失うかもしれないと、ここ20年ほどの流れをみて思います。


代替療法の広がりに感じる危うさと、「母乳育児推進」に感じる危うさの共通点はそのあたりもあるかもしれません。



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