「吸わない」のか「吸えない」のか 2  <日本の授乳指導について、教科書より>

こちらの記事の続きを書こうと思いつつ、どうしても授乳の話は「母乳かミルクか」の話や「授乳がうまくいくための」テクニック的な話にそれやすいので、実はどうも気持ちが前に進みません。


「私たちはまだ新生児や乳児が何をし、どのように変化しているのかよく知らない」ということからこういうことを考えられないのだろうと、新生児に関していろいろな切り口からの記事を書いてみるのですが、結局は母乳かミルクかの話として受け止められやすいのかもしれませんね。



まずは「哺乳の障害」が本当にあるのかどうか、あるとすればどのくらいの割合なのかという実態がわかっていないのではないかと思うのですが、それについての考え方や見方を整理するために、私がどのように「哺乳の障害」を学んだり、日本の中での考え方や実践の変化があったのか、しばらく書いてみようと思います。



<1980年代終わりの教科書より>



私の助産学校時代の教科書「母子保健ノート2 助産学」(日本看護協会出版会、1987年)には、「母乳栄養確立を妨げる問題と対策」として以下のように書かれています。

母側


乳頭の形態の異常として、陥没乳頭、扁平乳頭、乳頭の過大と過小、乳頭の高さ(伸展性)が十分でないものがある。妊娠中の乳頭の矯正に加えて、ブレストシールドを分娩後も装着し、乳児が楽に乳頭から吸啜できるまで継続する。乳輪が柔らかく、乳児が深く乳頭を舌の上にとらえられるよう援助する。ゴム製の乳頭帽を被せ、一時使用すると、直接哺乳が可能になる例もある。また、吸啜力の強い乳児(月齢の進んだ児)に吸啜させると。乳頭の形が整えられる。



乳頭の亀裂が生じた場合は、反対側の健側の乳頭から吸啜させる。水疱の破れや亀裂部は授乳後必ず消毒し、細菌感染の防止に努め、授乳前に薬物を拭きとって授乳するようにする。出血がある場合は直接哺乳を避け、用手的に搾乳して与える。損傷の治癒を待ってなるべく早期に戻す。亀裂部の清潔と乾燥に留意し、赤外線燈や電燈を照射する場合もある。軟膏類はむしろ亀裂の治癒を遅らせる。

児側


口腔の異常(舌小帯の短縮症)、鵞口瘡、兎唇、口蓋裂)や哺乳力の弱い児など、直接哺乳ができない場合がある。それぞれの治療をうけさせる。

舌小帯切除は不要という見解が出されたのは2001年ですし、「赤外線燈」とか「兎唇」という表現が使われているのを見ると、この教科書も古くなったなあと感慨深いものがあります。


<この記述がまとめられるまでの「歴史」>


この教科書を使って学んでいた頃は、助産学や母性看護学の権威のような人たちがいてこういう教科書を書いているのだろうと思っていました。
1980年代終わりと言えば、日本はすでに先進国の先進的な医療を行っていたわけですから。



ところが、こうしてブログを書きながら日本の医療や助産の歴史を振り返ることで、この1980年代の教科書というのは、長い人類の歴史を考えた時に、ようやく新生児が継続して観察され始めた時代あるいは助産師が乳房マッサージとして継続的に授乳に関わるようになってからわずか20年ほどの時点でしかないと、見方が変わりました。



その短期間で、授乳の支援方法についてこれだけまとめられたのは、日本の場合には入院中から退院後までなんらかの形で助産師が授乳の様子を観察したり、支援方法を考える機会と経験を持っていたからではないかと思います。


そこは、生後2週間で母乳栄養が3割ぐらいになっていた1970年代のアメリカとの大きな差ではないかと。


ただ、上記で引用した教科書の記述は、桶谷式の人たちの意向が強く出ているのだろうという印象です。
1960年代以降、幅広い月齢の乳児の飲み方や多くの産後女性の乳房と乳汁分泌の変化を、日本の中でもっとも見てきたのが桶谷式の人たちではあったでしょうから。
いえ、もしかしたら世界の中でもここまで産後の変化を継続的に観察して来た国はないかもしれません。




ただ、母乳相談の功罪に書いたように、「助産師の中で方法論が議論も検証もされるシステムがない」「根拠のない方法やアドバイスが未検証のままに広がりやすい」ことが、標準化を阻んで来た一番の理由だと思います。


1980年代に書かれていた方法は、部分的には変化したり見直されて来ているのですが、今も「誰かがこれが良いと言っている」的な広がり方をしているのはそのままのようです。


次回からは、もう少し具体的に「哺乳の障害」と思われている状況やその対応について考えてみようかと思います。
不定期になるとは思いますが。