記憶についてのあれこれ 159 上越線と上越新幹線

両岸が崖のような利根川上流ですが、渋川駅を過ぎると渓谷という趣きになりました。

山肌ギリギリの平地に棚田のように水田がつくられ、黄金色の稲穂が輝いています。この風景を楽しみにしていました、今年はなかなか遠出ができなかったので。

8月下旬でしたが、すでにコスモスや萩が咲いて、ススキの穂が出ていて秋の風景でした。

 

ぐんぐんと列車が高度をあげてあのループ状になるところに近づきました。

あっという間にトンネルに入り、私は大きな勘違いをしていたことに気づきました。ループ状の線路は、外に造られていると思っていたのです。

雪の多い地域ですから、当然といえば当然ですが、ループ状のトンネルなんてなんとすごい技術なのでしょうか。

三国山脈が立ちはだかる県境の水上〜越後湯沢駅間は、全長9,702mの清水トンネルをはじめとしてその前後にループトンネルを有する山岳鉄道であり、同区間が開通し上越線が全通するのは1931年のことである。この区間は長大トンネルを有するので、運転の保安上から水上駅〜石打駅間が開通当初より直流電化され、電気機関車の牽引により運転された。太平洋戦争後の1947年には、高崎駅長岡駅間の電化が完成している。

Wikipedia上越線」) 

 

トンネルと抜けると「そこは雪国」ではなくて、8月下旬ですから稲穂の輝く水田地帯が広がっていました。

本当にどこも水田のある風景は美しいですね。

 

上越新幹線ができた頃の記憶がない*

 

1980年代前半に、この上越線に乗って石打スキー場へ行った記憶があります。

新宿駅からあのスキーの大きな荷物を持って友人たちと乗り込んだのでした。

 

30数年ぶりの上越線の風景に、何か記憶があるのではと眺め続けていたのですが、まるで初めての場所を見るような感じで、石打スキー場のあたりの風景でようやくなんとなく記憶がつながりました。

きっと当時はスキーのことで頭がいっぱいだったし、外は茶色一色の冬景色にしか見えなくて、途中の風景は何も気にしていなかったのでしょうね。

今思えば、ほんとうにもったいないことです。

 

当時の記憶はとてもあいまいというか、ほとんど真っ白なのですが、上越新幹線についても記憶にありません。

石打スキー場へ行った頃はまだ新幹線ができる前だったと思い込んでいたのですが、Wikipedia上越新幹線を読み直すと、「1982年に大宮駅〜新潟駅間が開業した」とありますからすでに開通していたようです。

 

なぜ上越新幹線で越後湯沢のスキー場ではなく上越線で石打に行ったのか、誰といったのかも記憶がありません。

新宿発の直行便があったのでしょうか。

 

ほんと、記憶というのはあいまいですね。

 

 

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