散歩をする 252 祖師ヶ谷大蔵から谷戸川を歩く

10月下旬、少し遠出をする予定でチケットまで購入していたのですが、直前になって諸事情によりキャンセルになりました。

散歩や遠出をする機会が増えると、台風で散歩をキャンセルしたりと、予定通りにならないこともふえていきます。

分母が増えると異常や緊急事態に遭遇する確率も増えるようなものですね。

 

こんな時には気持ちを切り替えて、近場を歩こうと出かけたのでした。

 

のんびりしていたら午後2時頃になってしまい、日没が早くなるこの時期ですから慌てて家を出ました。

下北沢駅から小田急線に乗って、祖師ヶ谷大蔵駅を目指します。

散歩を始めた頃から気になっていた、砧公園の真ん中を流れる水色の線を確認する散歩です。

 

祖師ヶ谷大蔵駅から谷戸川へ*

 

祖師ヶ谷大蔵駅から東に向かって歩くと、駅のすぐ近くだというのに緩やかに下り坂になって、河岸段丘だとわかる場所があります。

これが目指す川だと思ったら、なんともう一度緩やかに上り、すぐに下り坂になって、そこが地図では目指す川の始まりです。地図ではわからない複雑な地形でした。

公園があり、実際にはそこから上流部は暗渠になっているようです。

 

このあたりは、1990年代頃から世田谷の長水路プールに自転車で通っていた頃に荒玉水道から環八に抜けるために通っていた場所ですが、水路があることも目に入っていませんでした。

 

山野小学校の校庭沿いに、小さな川が流れています。

そばに北原白秋が住んでいた場所という説明板がありました。

コンクリート張で、上面には転落防止のためのコンクリート製の横棒がつけられているちょっと味気ない水路です。

あまり期待もせずに中を覗き込んだところ、予想以上に小さな清流が流れていました。

 

遊歩道がある場所と、忽然と遊歩道がなくなり迂回しなければならない場所があり、一旦、一般道沿いへ向かうと、「山野小学校谷戸川門」と表示された門があり、この川が谷戸川であることがわかりました。

 

川沿いに小さな公園があり、子どもたちが遊び、お母さんたちが立ち話をしています。

その近くには三峰神社があって、たぶん80年代頃からの住宅地と思われる家が続いていました。

しばらく川に並行した道を歩くと、再び谷戸川の側に遊歩道と公園があって、2〜3mほど高い場所に都営住宅のアパートがありました。

ここもまた60年代から70年代頃の防水堤のような団地に見えます。

 

緩やかな下り坂になっている遊歩道を歩くと、NHK放送技術研究所の横に出ました。

ああ、そうでした。自転車でプールに向かう途中、このNHK放送技術研究所の手前で世田谷通りがぐんと上り坂になって漕ぐのが大変でした。

あれは谷戸川の段丘だったと、地形がつながりました。

 

*砧公園と東名高速道路

 

世田谷通りを渡ると、谷戸川は2回ほど屈曲して、砧公園へと流れていきますが遊歩道はなく、左岸側の道を行くと小高い場所に道が続いていました。

新しいマンションに囲まれて稲荷神社があり、そこを過ぎると目の前に砧公園の大きな森が広がっています。

 

公園内の谷戸川は柵で近づけないようになっていましたが、中を覗くと、なんとも心が落ち着くような小川です。

公園を横切り、東名高速道路方面へと流れ、一旦暗渠になって高速道路の反対側へと続いていました。

 

公園を出て東名高速道路の陸橋を渡ると、谷戸川に向かって結構な下り坂になっています。

1966年に東名高速道路が開通した後、子どもの頃は少なくとも年に2〜3往復はここを通過していました。

大きな森が近づくともう少しで環八に入るという、私にとっては「都内」との境でした。

 

1970年代終わり頃から何度も砧公園の近くを通っていても、中がこんなに高低差がある場所だとは知りませんでした。そして谷戸川の流れがそれを作り出していたことも。

 

国分寺崖線谷戸川*

 

東名高速道路の下から出てきた谷戸川は、両側がコンクリートではなく昔ながらの石積みの護岸になり、砧公園内の小川の趣から、急に水量が増えていきました。

 

聖ドミニコ学園のあたりでは、谷戸川の両岸は再び高台になり、あちこちから水が川へと流れ込んでいます。

驚いたことにわずかの水田が残っていました。

まさに「谷戸」の地形ですが、細長い地形なので住宅も道路沿いにあるだけです。

 

そして、谷戸川は岡本静嘉堂緑地の緑地内へと流れていき、仙川から分流した六郷用水へと流れ込みます。

残念ながら16時半を過ぎて、岡本静嘉堂文庫の敷地内には入れませんでした。

 

この辺りでは、あちこちから水の音が聞こえてきます。

谷戸川は、国分寺崖線から多摩川へと流れることを実感したのでした。

 

「馬坂」という見上げるような坂を上ると、1970年代から80年代を思い出すような、瀬田の昔からの農地がありました。

そういえば、なぜここの地名は「瀬田」なのでしょう。

環八へ出て、夕方の渋滞の中を千歳船橋駅へバスで向かい、帰路につきました。

 

 

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