ただひたすら矢作川をみる散歩の二日目は、朝7時30分ごろのバスに乗る予定でした。
小渡行きのバスに乗ると、1時間10分ほど矢作川に沿って矢作ダムの近くまで行ける路線でした。2月下旬の冷え込んでいる中、意気揚々とバス停に向かうと、なんと朝一番のそのバスは途中までしか行かない路線のようでした。事前に何度もバス会社のホームページも確認したのですけれど、やはり現地にいかないとわからないことはよくありますからね。
小渡に行き、そこからバスを乗り継いで足助(あすけ)に行ってまた豊田市に戻っていく計画でした。
予定していたバスは広瀬までしか行かないのですが、そこから足助行きのバスに乗り換えられるようです。計画変更してそのルートで足助に向かうことにしました。
*バスで足助へ*
矢作川を渡り、前日に見たゴミひとつ落ちていず、ゴミ収集場所もどこにあるかわからないぐらい整然とした市街地を抜けると、矢作川左岸に田畑が広がり大きな農家の家並が続いて、旧街道のような風景になりました。
水間町のあたりから堤防が高くなり、矢作川の水面は見えなくなりました。
「水間」、どのような地名の由来があるのでしょう。
「勘八(かんぱち)中根」というバス停のあたりから高台へと上り坂になり、中部電力越戸ダムの横を通過しました。
山の中へ入っているはずなのに、驚いたことに朝の通勤ラッシュで渋滞していました。バスの乗り継ぎ時間は大丈夫かなと一瞬不安になりましたが、どこかの交差点で流れが変わり、また山道をバスだけが走る風景になったのでした。
途中、川岸の雑木林の中に、レールのようなものが一瞬見えました。
じきに終点の広瀬に到着。目の前にはレールと旧駅舎がありました。
ゆっくり周辺を歩いてみたい風景ですが、そのまま足助行きのバスに乗り換えました。
ここからはコミュニティバスでしたが、中はすでに高校生で満員でした。期末テスト最中か、皆、真剣に勉強しています。
広瀬を出るとぐいぐいと坂道を登り、また下ると目の前に大きなお寺が2つあり、ちょっと時が止まったように落ち着いた街並みがありました。
山の間の道に沿って田畑や家が並んでいます。美しい風景に見入っていると、その街並みの中を通っている道が、元は単線の鉄道を利用したのではないかと思うようなつくりでした。先ほどの広瀬からの鉄道でしょうか。
この辺りの道にはどんな歴史があるのでしょうか。
再び川が見えてきました。矢作川の支流、巴川です。
橋を渡ると足助病院があり、そこがバスの終点でした。その隣にある学校に、高校生が入って行きました。
まだ8時半ごろなので、静かな静かな山間の町の朝です。
1990代に愛知の知人を訪ねた時に、 「足助はいいところだから行ってみるといいよ」と言われて、名前が記憶に残っていました。
四半世紀過ぎて、その一言から訪ねることになるのですから、人生というのは不思議なものだと思いながら、川沿いを歩きました。美しい川です。
数分ほど歩くと足助八幡宮があり、街の中心部のようです。
そこから巴川に沿って香嵐渓があり、そして足助川に沿って古い街並みが保存されていました。
あちこちから水音が聞こえてきます。
この景色と静けさを独り占めしたのでした。
ただ、数日後に愛知県は一足先に緊急事態宣言が解除になるという時期でしたから、まだ街中をぶらぶらする観光客は歓迎されないだろうと思い、川沿いを少しだけ歩いて次の目的地に向かうことにしました。
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