岩室民族資料館の展示とこの地域の雰囲気に満足して、西川沿いをまた歩き始めました。
次に目指すのは、今回は断念した、山を貫通した排水路らしい場所の東側にある、その水路と西川がサイフォンで交差している場所です。
和納(わなみ)の住宅地を抜けると、見渡す限りの田んぼが広がっています。
まっすぐな農道ですが、ほんと、ひとりで歩く醍醐味です。
途中、立派な石碑がありました。
「和納地区県営圃場整備事業 竣工記念碑」でした。
石碑の裏へまわってみました。
沿革
この地域は、昭和三十年代に先人の努力により、十アールの区画整理が為され、県下有数の穀倉地帯として発展を遂げてきたが、近年の農業情勢の変貌から、大型機械化体系による生産性向上を希求する為には、圃場条件の再整備が必要不可欠な状況であり、また兼業農家が多い地域で、担い手農家を確保することが大きな課題となった。
この様な中、昭和五十三年六月の豪雨による、大水害を契機として、国営西蒲原農業水利事業が着工され、大通川放水路の整備推進に合わせ、低コスト・高生産性営農を可能とする県営大区画圃場整備事業の積極的な取り組みがなされ議論を重ねてきた結果、組合員の同意を得て、平成六年着工、平成十二年ここに大区画圃場が完成した。
本事業の完成を契機に、今後の地域農業振興に貢献することを信じると共に、その間、本事業の推進に全精力を傾けた全ての関係者の功績を後世に伝えるため、竣工を機に、ここに記念碑を建立する。
平成十二年三月 建立
昭和三十年代、おそらくこの地域もまた収穫量が低い排水不良の田んぼから穀倉地帯へと変化した時代だったことでしょう。
さらに水害を契機に整備された排水路と機械化に合わせた農道の整備から四半世紀が経ち、この風景になった様です。
そして、真っ直ぐ山を貫く水路は「大通川放水路」であることが、この石碑を読んでわかりました。
700~800mほどでしょうか、まっすぐなまっすぐな道を角田山や弥彦山の峰を眺めながら歩くと、その大通川放水路があり、西へと沿って歩くと西川と交差している場所がありました。
西川にかかる橋から交差した場所を眺めてもサイフォンの仕組みはよく見えなかったのですが、石造りの樋門に「大通川放水路」と彫られているのが見えて、満足しました。
「記録のあれこれ」まとめはこちら。