落ち着いた街 65 松山新田と士魂為農

なんと充実したただひたすら千曲川から信濃川へと川と水路と潟を訪ねる2日間だったと、上堰潟公園を出ました。

 

あとは巻駅に戻って新潟駅へ向かって帰るだけですが、バスがくるまで時間があるので、一つ手前の松山バス停まで歩いてみようと思いつきました。

 

潟の中の微高地沿いに県道2号線が通り、集落が続いています。

県道は交通量が多いので、1本西側の住宅地の道を歩いてみることにしました。

静かな住宅地の一角に、バケツにガマの穂が植っていました。こんなに周囲にはいくらでもガマを植えられるような湿地があるのですけれど、面白いですね。

 

 

*松山新田の碑*

 

県道へと出る道が、途中でカクカクと曲がり、石碑と案内板がありました。

北国街道散策 松山新田之碑

 

 この碑は松山地域の開拓者で、初代庄屋となった河村又左衛門を顕彰しようと、地区民ら30余名が県知事に請願し、明治三十二年(1899年)に建立されました。文字は日下部鳴鶴揮毫によるもので、一字不損の名書と言われています。

 河村又左衛門は弥彦神社の神官でしたが、この地を開拓したことで代々庄屋を務めてきました。松山新田は文禄年間(1592〜1595年)頃の開拓といわれ、当初は弥彦の荘に属していました。慶安二年(1649年)に検地があり又左衛門新田と唱え、承応三年(1654年)松山村と改められました。

 元禄十六年(1703年)、幕府の直領となり、松山新田村と改称し、以降所管が転々としながら、明治二十二年(1889年)に町村制施行の際、松野尾と併せて松野尾村となりました。

 

1654年、玉川上水が完成した年ですね。

 

バス停まで歩いたらそこでバスを待つ予定でしたが、「新田」と聞いてもう少しこの近辺を歩きたくなりました。

 

 

*「士魂為農」*

 

県道に出ると、むかいがわに黒壁の屋敷が見えます。どうやら酒蔵のある敷地のようです。誘われるようにそこから東へと曲がると、若宮神社の境内がありました。

 

社殿には惚れ惚れするような木の龍が彫られたものが飾られています。ここにもまた腕の良い棟梁がいたのでしょうか。

 

境内の一角にまた「北国街道散策」の案内がありました。

北国街道散策 若宮神社と山賀五平翁の碑

 

 松野尾地域の守り神である若宮神社は、天押雲命(アマノオシクモノミコト)を捧神とする神社で、大正七年(1918)に神明社を合祀しました。境内には「弥彦宮遥拝所」の碑などの石塔や小祠が集められています。

 この若宮神社の祭礼は毎年五月三日におこなわれ、地域住民は神前に参拝し、そのあと裏手にまわり「弥彦宮遥拝所」にも手を合わせると、弥彦まで行って参詣したのと同じご利益があるといわれています。

 境内に建つ「山賀五平翁の碑」は、明治時代に「士魂為農」の信念で地域の村長を務めた功績を称え昭和十五年建立されました。現在は新潟市文化遺産に登録されています。

 

「士魂」、私の人生では耳にしたことがなかった言葉です。

「士魂為農」、明治時代のこの地域ではどのような変化があり、そして昭和15年にはどのような時代背景でこの翁が思い出されたのでしょう。

 

誰ひとり出会わなかった集落の静けさでしたが、脈々とつながる何かを感じながらバス停に向かいました。

県道のバス停には、木の縁台が置かれていて、ありがたく座らせてもらいました。

 

充実した2日間が終わりました。

 

 

 

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