散歩をする 541 ただひたすら川と水路と「潟」の田んぼを歩く〜千曲川から信濃川へ〜

7月初旬の伊予から讃岐の散歩から戻ると東京も連日の猛暑日になり、生きて通勤しているだけで奇跡的と思うほど体力を削がれる毎日でした。

 

連日35度を超えると、体力だけでなく考える力もさらには気力もなくなりますね。

いつもなら通勤途中でiPhoneの地図を眺めながら妄想の散歩をして次の計画を考えてはまた仕事も頑張ろうと自分を励ましているのですが、今年はそれさえも疲れるほどでした。

このまま遠出もしなくなるのかな、と本気で思いました。

 

ところが、生きているだけで奇跡的だった夏の暑さが少し和らいでくると、またやり残した宿題が気になり始めました。

9月下旬、ようやく最低気温が25度を下まわるようになり、ほぼ3か月ぶりの遠出に出かけることにしました。

 

 

*新潟の「潟」は大丈夫だろうか*

 

元旦の能登半島地震では、富山県の氷見や石川県の内灘そして新潟市も被害を受けました。いずれも潟を干拓した地域なので液状化によるものでしょうか。

 

1990年代に信濃川水系の治水について知る機会があったことから、しだいに信濃川を訪ねる機会が増えました。

新潟県はなぜ「新潟」なのだろうという素朴な疑問から、地図上のあちこちの「潟」が目に入るようになり、そして地図には描かれていないかつての大きな潟の存在も知りました。

信濃川の治水というのは、川だけでなくこうした潟と潟の痕跡に対応しているのですね。

 

その地震で影響を受けた地域、信濃川左岸の地域は大丈夫でしょうか。

そしてどんな歴史や風景がある地域なのでしょう。

そのあたりを訪ねるのなら、ずっとみてみたいと思っていた信濃川中ノ口川がぐんと近づいて瓢箪のくびれたような地形の燕三条に行ってみよう。

 

 

*2019年の1000年に一度の水害と立ヶ花狭窄部*

 

信濃川水系を訪ねるのであれば、あの2019年の千曲川氾濫から1年後に初めて知った立ヶ花狭窄部を訪ねてみたい。

 

2020年9月に念願だった飯山線に乗って信濃川から千曲川になるあたりを見に、日帰りで出かけてみました。

長大な千曲川信濃川を治めるというのは上流から下流まで、多彩な地形とその影響が大きいことを知りました。

ただまだその時には「立ヶ花狭窄部」を知らなかったのでした。

長野県内に入って、案外とゆったりと流れる美しい川面に感動した記憶だけがあります。

 

 

*名前もわからない水路だけれど訪ねてみたい*

 

いつかこの立ヶ花狭窄部のあたりから飯山のあたりまで信濃川沿いに歩いてみたいと思って地図をながめていると、「蓮(はちす)駅」が目に止まりました。最近蓮にも関心が深まってきましたからね。

 

蓮駅の前後、中野市から飯山市にかけて、千曲川左岸の山すそに沿って細い水色の線が描かれています。用水路に違いありません。

検索しても名前もわからないのですが、「蓮堰」があり「上組溜池のそばに3つの記念碑」があるらしいことまでわかりました。

この用水路を見てみたい。

 

計画ができました。

1日目は北陸新幹線長野駅で下車し、北しなの鉄道飯山線で立ヶ花狭窄部を車窓から見て蓮駅で下車。

用水路と記念碑を見たあと、ここから千曲川左岸の水田地帯を飯山駅まで歩く。

飯山線の車窓からふたたび千曲川から信濃川をながめて、越後川口駅へ。

越後川口駅からJR上越線に乗って、体力が残っていたら長岡駅から福島江用水の一部を歩き、そのあと燕三条駅に向う。

燕三条駅から信濃川中ノ口川がぐっと近づいた場所を歩いて、この日は燕三条で一泊。

 

2日目は燕三条駅からJR弥彦線に乗り吉田駅の周辺を歩いたあと、JR越後線岩室駅で下車し、水路が張り巡らされて潟が点在する田園地帯を歩いてみよう。

だいぶ見慣れた千曲川信濃川の風景ですが、それぞれの地域にどんな歴史や異なる風景があることでしょう。

 

そして北陸新幹線上越新幹線の車窓から見えていた地域を歩くのも楽しみです。

そしてホテルの窓から新幹線が通過する風景を眺めたい。

 

 

まだ残暑厳しい時期だったのでリハビリ的な感じで一泊二日にし、「潟」のある地域には熊出没のニュースが多いので念入りに熊情報も確認して、9月下旬に出かけてみました。

 

90年代からのやり残しの宿題がどんどんと増え、そして出かけるとまた知りたいことが増えた散歩でした。

 

しばらくこの散歩の記録が続きます。

 

 

 

「散歩をする」まとめはこちら

新幹線の車窓から見えた場所を歩いた記録はこちら

「蓮」に関するまとめはこちら