医療

境界線のあれこれ  35 <准看護師制度がある国となかった国>

歴史に「もし」はないのですが、それでももし日本が敗戦国にならずに戦前の医療体制が大きく変わらなかったらどうなっていたでしょうか。 あるいは准看護師制度がなく、一気に大学卒レベルの看護師教育に変わっていたらどうなっていたでしょうか。 前回の記…

境界線のあれこれ 34 <乙種看護婦と准看護婦>

看護師の資格が、看護師と准看護師の二つに決められたのは1951(昭和26)年の「保健婦助産婦看護婦法改正案」のようです。 昨日の記事にも書いた私の勤務先の准看護師さんは70歳前後ですから、この准看護婦制度が始って10年ほど後に資格をとったことになりま…

境界線のあれこれ 33 <系統的に学んだかどうか>

私の勤務先で一緒に働いている師長さんと思われている准看護師さんですが、本当によく状況が見えて、さくさくと臨機応変に動ける方です。 私がその産科診療所に勤務し始めた頃は助産師が足りなかったので、助産師がいない勤務帯にはその准看護師さんが分娩の…

境界線のあれこれ 32  <看護職の適性のあるなし>

このところずっと、助産師を含めて、「看護職の適性」とは何だろうと考え続けています。 それについてはまたいつか改めて書いてみたいとは思っているのですが、ぐるぐると考えをめぐらせている中で浮かんでくるのは、「周囲の状況を一瞬にして察する能力」と…

境界線のあれこれ 31 <「准」がつくこととつかないこと>

世の中の仕事で「准」がつくものと言えば、以前は准看護師しか思いつきませんでした。 いつ頃からでしょうか、准教授という役職名を聞くようになったのは。 wikipediaの准教授によれば、助教授が「教授の職務を助ける」のに対して、准教授は「教授に次ぐ教員…

境界線のあれこれ 30 <看護師と准看護師の教育制度>

病院によっては、職員の名札に「看護師」か「准看護師」かを明記しているところもあると思います。 また具体的に、看護業務の中で准看護師の範囲を限定し、看護師とは明確にわけている施設もあるかもしれません。 それでも患者さん側にしたら、実際には何が…

境界線のあれこれ 29 <看護師と准看護師>

世の中の職業には、同じような職域でもいくつか異なる資格が混在していて、外から見るとその違いがよくわからないものはたくさんあります。 助産師の中に強い「私は看護師ではありません(キリッ)」という態度も、外から見れば看護師と助産師の違いがわかり…

境界線のあれこれ 28 <1950年代から1960年代、看護の大転換の時期>

しばらく産科診療所の話題を離れていますが、実は、この1950年代から60年代頃の看護の変化がその後の産科診療所のありかたにも大きく影響をあたえたのではないかと思うので、しばらくその頃の医療や看護の話題が続くかもしれません。 昨日の記事で、東南アジ…

境界線のあれこれ 27 <世界の看護と日本の看護>

1980年代に東南アジアにある難民キャンプで働いた時に、「看護」というのは世界中で同じではないことを実感しました。 難民キャンプでは現地の看護師も職員として採用されていましたが、彼女たちのプライドと地位の高さに驚きました。 私がインドシナ難民や…

境界線のあれこれ 26  <家族による看護と専門職による看護>

小さなこどもたち、特に女の子の将来なりたい職業ランキングの上位に必ず入ってくる看護師ですが、みなどんなイメージがあってそのイメージはいつ頃からつくられたのでしょうか。 私が小学生だった1960年代には、すでに「将来は看護婦さんになりたい」と答え…

産科診療所から 5 <医療施設の歴史>

1980年代に東南アジアのある国へ「海外医療援助」へと意気揚々と出かけた私を打ちのめしたのが、現地での日本人に対する戦争責任への厳しい視線でした。 当時の日本では戦争はまだまだ語り継がれていましたが、戦争という状態がいかに大変かというどちらかと…

境界線のあれこれ 25 <代替療法から近代医療へ>

1990年代に東南アジアで暮らした時に、ヒーラーと呼ばれる民間療法師が人々の健康相談から治療までおこなって生業にしている様子をよく見ました。 地元の友人が体調の悪いときに、ヒーラーに見てもらうというので付いていくこともありました。 普通の、貧し…

行間を読む 1

助産婦学校時代に感染症を教えてくださったのは、当時、周産期感染症で第一人者と言われた先生でした。 一言一言を漏らさずに聞き取ろうとノートをとり、授業もひきつけられるように聞き入っていた記憶があります。 それだけ熱心に筆記していた授業内容でし…

「日本住血吸虫症」展

先日来、川で沐浴することや胎盤の寄生虫 などで住血吸虫について思い出す機会があったので、調べているうちにちょうど国立科学博物館で企画展「日本はこうして日本住血吸虫症を克服したーミヤイリガイの発見から100年」が開かれることを知りました。 こうい…

医療安全対策について思うことあれこれ

私が最初に看護師として働き出した頃を含めた30年ほどを振り返ると、医療が急速に進歩した時代に重なっていたことをこれまでも何度か書いてきました。 医療の進歩とともに、医療安全対策という言葉が出て医療従事者の意識も大きく変った時代だったといえるで…

誰もが新人から成長する

先日の記事で、バレーボールについて書きました。 毎年、新たに彗星のごとく伸び盛りの若い選手が現れて、国際大会で大活躍します。 物怖じせずにのびのびとプレーしている姿に来年の活躍を期待するのですが、案外、翌年以降は平凡なプレーになっていること…

看護職の職能団体からの除名とは?

医療事故にいつ自分が遭遇するかわからないので、常に仕事上の法的責任を意識しています。 日本看護協会の医療看護安全情報の「医療事故に伴う看護職の責任」に、以下のような説明があります。 (リンク先が削除されたのかみつかりませんでした。すみません…

保育器についてのトリビア

カンガルーケアが保育器の替わりに早産や低出生体重の赤ちゃんを守ってくれている、世界中にはそういう国や地域がたくさんあります。 日本では当たり前のように保育器を使っていて、いつ頃からどのように使われたのかも気にしていなかったことに今回気づきま…